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尚泰久王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尚泰久王
琉球国王
在位 1454年-1460年

全名 尚泰久
神号 那之志与茂伊(または大世主)
居城 首里城
出生 1415年
死去 1460年6月23日
王世子 尚徳王
配偶者 護佐丸の娘
子女 別記
家名 第一尚氏
王朝 第一尚氏王統
父親 尚巴志王
母親 眞鍋金(伊覇按司一世の長女)
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尚 泰久王(しょう たいきゅうおう、1415年永楽13年) - 1460年6月23日天順4年6月5日))は、琉球王国第一尚氏王統・第6代国王(在位1454年 - 1460年)。第5代琉球国王。神号は那之志与茂伊(なのしよもい)、または大世主(おほよのぬし)。第5代国王尚金福王の弟である。 [1] [2]


概要

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尚巴志の五男で、越来間切を与えられて越来王子と称する。この時に金丸(後の尚円王)を見出して取り立て、尚思達王に王府官僚として推薦している。尚金福王が死去した後の後継争いである志魯・布里の乱で、双方が共倒れになったことから、金丸や阿麻和利らの推戴により琉球国王として即位した。

永楽通宝を変造した銅銭大世通宝を発行したほか、護佐丸・阿麻和利の乱を鎮圧したことが業績に挙げられる。

また、初めて琉球に臨済宗を伝えた京都南禅寺出身の僧の芥隠承琥らに深く帰依して多くの仏寺を建立した。梵鐘鋳造にも熱心で、1458年には万国津梁の鐘を造らせて首里城正殿に懸けさせた[3]。  

謎の多い尚泰久像

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 尚泰久の人物像には樣々な疑問が提起されてゐる。近年いしゐのぞむは以下の新説により尚泰久像に大きく轉換を試みてゐる。「おもろさうし」78番(卷二)の越来按司の子「(ま)たちよもい」が尚泰久であることは定説だが、別途卷十五の「宇座のたちよもい」を泰期とする舊説は誤りであり、兩者はともに同一の尚泰久=懐機=國公道球である。尚泰久が懷機の名(越來の福建字音)で座喜味城の長濱で南海貿易を行なひ、國公(越來及び懷機の同音)の道球(泰久=たちよの同音)として『琉球國由來記』卷十に記録されたのである。[4] [5][6][7]

系譜

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  • 父:尚巴志王
  • 母:眞鍋金(伊覇按司一世の長女)
  • 妃:護佐丸の娘
  • 側室:宮里阿護母志良礼
  • 側室:越来村の世利休
    • 長男:安次富加那巴志(母は護佐丸の娘、後裔は安次富家、屋良門中
    • 次男:三津葉多武喜(母は護佐丸の娘、後裔は仲栄真家、仲栄真門中
    • 三男:尚徳(母は宮里阿護母志良礼、後裔は雍氏目取真家明氏亀谷家
    • 四男:八幡加那志(母は護佐丸の娘、後裔は習氏、大仲栄真門中[8]
    • 五男:尚武江洲按司(後裔は武氏嘉陽家)(眞榮田家)[8]
    • 長女:百度踏揚(母は護佐丸の娘、阿麻和利の妻、後に鬼大城に嫁す)
    • 次女:尚按司加那志(林鳳に嫁し、後に泊里主宗重に嫁す)

参考文献

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  1. ^ [1]
  2. ^ [2]
  3. ^ 荒木和憲「[論文] 古琉球期王権論 : 支配理念と「周縁」諸島」『国立歴史民俗博物館研究報告』第226巻、国立歴史民俗博物館、2021年3月、251-288頁、CRID 1050291768582104064ISSN 0286-7400 
  4. ^ いしゐのぞむ「古琉球史を書き換へる」『純心人文研究』第28号、長崎純心大学、2022年2月、213-240頁、CRID 1050291768469112064ISSN 13412027国立国会図書館書誌ID:032010890 
    及び八重山日報日曜談話連載「小チャイナと大世界」126~129、令和四年六月。 https://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0220605.html  https://www.shimbun-online.com/product/yaeyamanippo0220626.html いしゐのぞむ「尖閣島名の淵源」(下)、日本國際問題研究所寄稿、令和四年三月三十一日。 https://www.jiia.or.jp/jic/20220530.html
    いしゐのぞむ「尖閣島名の淵源(下)補説」『純心人文研究』第29号、長崎純心大学、2023年2月、236-210頁、CRID 1050295491694965760ISSN 13412027 など。 
  5. ^   「統一独立の琉球なかった」 石井氏が新説、第一尚氏も否定 八重山日報令和六年六月十六日 https://yaeyama-nippo.co.jp/archives/23433 
  6. ^  https://www.youtube.com/watch?v=FrlYXLGECuY 「琉球史の定説を覆す”新琉球史” 三山統一は真っ赤な嘘!」石井望、日本沖縄政策研究フォーラム、R6/6/25、チャンネル桜沖縄支局「沖縄の声」
  7. ^ いしゐのぞむ「驚愕の古琉球史」、『純心人文研究』第30号、令和6年(2024年)2月。https://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10486493 
  8. ^ a b 士族門中家譜、球陽出版

関連項目

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外部リンク

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