尚温王
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尚温王 | |
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琉球国王 | |
在位 | 1795年-1802年 |
全名 | 尚温 |
名乗 | 朝克[1] |
烏帽子親 | 向天廸・伊江親方朝慶[1][2] |
出生 |
1784年3月21日 |
死去 |
1802年8月8日 (18歳没) |
埋葬 |
1802年 琉球国・首里玉陵 |
王世子 | 尚成王 |
配偶者 | 佐敷按司加那志(号・仙徳) |
子女 | 尚成 |
家名 | 第二尚氏 |
王朝 | 第二尚氏王統 |
父親 | 尚哲 |
母親 | 聞得大君加那志(号・徳沢) |
尚温王(しょうおんおう、1784年3月21日(乾隆49年2月1日) - 1802年8月8日(嘉慶7年7月11日))は、琉球王国第二尚氏王朝の第15代国王(在位:1795年 - 1802年)。童名は思五郎金(うみぐらぁがに または うみぐるぅがに)。
主な経歴
[編集]- 1795年 - 12歳で即位。
- 1796年 - 徳川将軍(徳川家斉)へ謝恩使を派遣[3]。
- 1798年 - 国学(現沖縄県立首里高等学校)・平等学校を開くなど教育の振興に努める
- 1800年 - 冊封使が来琉。
- 1801年 - 官制騒動が発生。久米村人が猛烈に反発して暴動となった。[4]
- 1802年 - 19歳という若さで夭折。
家族
[編集]脚注
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