尚清王
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尚清王 | |
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琉球国王 | |
在位 | 1527年-1555年 |
全名 | 尚清 |
神号 | 天続之按司添 |
出生 |
1497年 琉球国、首里 |
死去 |
1555年7月13日 琉球国、首里 |
埋葬 |
1555年 琉球国、首里玉陵 |
王世子 | 尚元 |
配偶者 | 別記 |
子女 | 別記 |
家名 | 第二尚氏 |
王朝 | 第二尚氏王統 |
父親 | 尚真王 |
母親 | 華后 |
尚清王(しょうせいおう、1497年(弘治10年) - 1555年7月13日(嘉靖34年6月25日))は、琉球王国第二尚氏王統の第4代国王(在位1527年 - 1555年)。第3代国王尚真王の第5王子。童名は真仁堯樽金。神号は天続之按司添(てにつぎのあんじおそい)。
1526年(嘉靖5年)12月11日に父が死去した後の翌年に即位する。1534年、明王朝に冊封を受ける。1537年には反乱のかどで奄美大島の与湾大親を討つが、これは大島の他の大親による讒訴と判り、子孫の馬氏小禄殿内は琉球で長用された。同時に倭寇に対する圧力、防備も強化するなどの軍事面での顕著な事績があった。
1555年(嘉靖34年)6月25日、59歳で死去。死後、王子たちの間で王位継承争いが起こり、翌年に尚清が生前に後継者として定めていた第2王子の尚元王が継いだ。
家族
[編集]- 父 - 尚真王
- 母 - 華后
- 妃 - 思真銭金按司加那志:号・月江。1552年(嘉靖30年)6月13日薨。毛氏平安名家一世・兼城親方栄重の姉。
- 夫人
- 城之大按司志良礼:童名・真鶴金、号・瑞室。生没年不詳。父は謝名村新城仁屋、子孫は陳氏石川家。
- 大按司志良礼:童名・真美那古金、号・后徳。生没年不詳。父は楽氏一世屋宜親雲上昌寔。
- 大按司志良礼:童名・真世仁金、号・礼室。生没年不詳。父は王農大親。
- 妻 - 与那原阿護母志良礼:号・誠淑、堅嘉の妹、那氏一世新垣親雲上善将の叔母。
- 子女
- 長男 - 尚禎、中城王子:母は后徳。生没年不詳。妻は毛氏上里殿内三世・沢岻親方盛里の娘、君豊見按司加那志。後裔なし。
- 次男 - 尚元、久米中城王子:母は妃。後即位する。
- 三男 - 尚楊叢、勝連王子朝宗:号・金渓。生没年不詳。向氏新里殿内一世。
- 四男 - 尚鑑心、大伊江王子:生没年不詳。後裔なし。位牌は天界寺。
- 五男 - 尚桓、北谷王子朝里:号・春楊。生没年不詳。向氏与那覇殿内一世。
- 六男 - 尚范国、東風平王子朝典:号・泰甫。1548年(嘉靖27年)11月11日卒。玉城御殿一世。
- 七男 - 尚宗賢、伊江王子朝義:母は瑞室。号・昨夢。1538年(嘉靖17年) - 1586年(万暦14年)5月19日。伊江御殿一世、
- 八男 - 尚洪徳、読谷山王子朝苗:母は礼室。玉川御殿一世。
- 九男 - 尚龔礼、豊見城王子朝喬:号・徳崇。生没年不詳。向氏伊良波殿内一世。
- 十男 - 尚悦、羽地王子朝武:母は誠淑。号・梅仙。1587年(万暦15年)7月18日卒。向氏喜屋武殿内一世。
- 長女 - 阿応利屋恵按司加那志:号・徳大。生没年不詳。後裔なし。位牌は天界寺。
- 次女 - 首里大君按司加那志:号・桂月。生没年不詳。後裔なし。葬地は玉陵。
参考文献
[編集]- 比嘉朝進『士族門中家譜』 球陽出版 2005年 ISBN 4990245709
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