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尹春根

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尹春根
生誕 1914年
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮慶尚南道馬山
死没 1976年6月3日
大韓民国の旗 大韓民国ソウル特別市
所属組織  満洲国軍
大韓民国陸軍
軍歴 1937-1945(満州国軍)
1946-1962(韓国陸軍)
最終階級 上尉(満州国軍)
少将(韓国陸軍)
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尹 春根(ユン・チュングン、윤춘근)は、大韓民国軍人

経歴

[編集]

1914年、慶尚南道馬山に生まれる[1]。満州第一中学校卒業[1]

1937年9月、中央陸軍訓練処第5期卒業[1]見習軍官を経て同年12月、少尉に任官して歩兵第25団に配属[1]。後に間島特設隊に配属。1940年7月、勲五位景雲章を受章[1]。1941年3月、任中尉[1]第2次世界大戦終戦時は第6軍管区歩兵第7団上尉連長として服務していた[1]

1946年12月、警備士官学校2期卒業、任少尉(軍番10211番[2])。第9連隊創設要員として勤務[1]

1949年3月15日、第15連隊長[3]

1949年11月13日、第9連隊長(中領[4]

1950年7月4日、第1連隊長[2]。同年8月7日、首都師団参謀長[2]。同年9月、第8師団副師団長[2]

1952年、西南地区戦闘司令部司令官。

1952年11月8日、第12師団長准将)。

1955年2月22日、第30師団長(少将)[5]

1957年8月、教育総本部副総長[6]

第1管区司令官を経て1959年12月21日、第5管区司令官[7]

1962年、5・16軍事クーデター時は第1軍副司令官[8]

1962年3月、予備役編入[1]。予備役編入後は浦項製鉄顧問[1][2]

2008年4月29日に民族問題研究所親日人名辞典編纂委員会が発表した親日人名辞典収録対象者軍部門に記載[9]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 親日人名辞典編纂委員会 2009, p. 693.
  2. ^ a b c d e 佐々木 1977, p. 534.
  3. ^ 佐々木 1976, p. 200.
  4. ^ 佐々木 1976, p. 197.
  5. ^ “師團長에 尹少將, 徐准將 任命” (朝鮮語). 부산일보. (1955年2月24日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19550224000002 2019年10月22日閲覧。 
  6. ^ “政府人事” (朝鮮語). 부산일보. (1957年8月1日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19570801000018 2019年10月22日閲覧。 
  7. ^ “管區司令官 一部를 更送” (朝鮮語). 부산일보. (1959年12月23日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19591223000009 2019年10月22日閲覧。 
  8. ^ “<609>역사를 넘어 시대를 넘어 -96- 5사단 이끌고 서울로 출동” (朝鮮語). 국방일보. (2007年8月22日). http://kookbang.dema.mil.kr/newsWeb/20070822/1/BBSMSTR_000000010257/view.do 2019年10月22日閲覧。 
  9. ^ “[명단] 친일인명사전 수록 대상자 4776명” (朝鮮語). オーマイニュース. (2008年4月29日). http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000889220 2021年5月1日閲覧。 

参考

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  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。 
  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 下巻 漢江線から休戦まで』原書房、1977年。 
  • 친일인명사전편찬위원회 編 (2009). 친일인명사전 2. 친일문제연구총서 인명편. 민족문제연구소. ISBN 978-89-93741-04-9