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尾崎匡哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾崎 匡哉
日本ハム時代
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県伊丹市
生年月日 (1984-06-02) 1984年6月2日(40歳)
身長
体重
182 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手内野手[1]
プロ入り 2002年 ドラフト1巡目
初出場 2008年4月12日
最終出場 2014年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

尾崎 匡哉(おざき まさや、1984年6月2日 - )は、兵庫県伊丹市出身の元プロ野球選手捕手内野手[1])。右投右打。

経歴

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プロ入り前

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報徳学園高校時代は投手としても140km/h以上の直球を投げ、注目された。

2002年春の第74回選抜高等学校野球大会では遊撃手として出場し、大谷智久らと共に全国制覇に貢献した[2]。春夏連続出場となった第84回全国高等学校野球選手権大会では浦和学院に初戦敗退も、自身は須永英輝から初回先頭打者本塁打を放った。

高校通算21本塁打の大型遊撃手として高いセンスをプロから評価され、2002年度ドラフト会議にて日本ハムファイターズから1巡目指名を受けた。契約金は8500万円、推定年俸800万円で、背番号は23[3]

日本ハム時代

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入団以来2007年まで一軍出場はなかったが、二軍では毎年ほぼ全試合で起用されており、毎年打撃成績を伸ばしていた。2006年打率.275、本塁打7、2007年は打率.314、本塁打5を記録した。その一方で守備には難があり、二軍では内野の全ポジションで起用されているが、2005年には19失策、2006年は15失策、2007年は15失策を犯している。

2008年の春季キャンプでは捕手のポジションに挑戦することになったが、シーズンが始まって一軍に怪我人・不振の選手が続出したことにより、内野手として初の一軍昇格を果たした。オフに背番号が53に変更されることが発表された[4]

2009年以降は捕手として登録されている。

私生活では2006年12月24日に結婚。2007年10月に長女が誕生。

2013年4月23日の福岡ソフトバンクホークス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で、1回2死満塁の場面で大隣憲司から左前適時打を打ってプロ初打点を記録した[1]

2014年10月21日に球団より戦力外通告を受けた[5]12球団合同トライアウトに参加して本塁打を打ったが[6]、その後現役を引退。

引退後

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G.G.佐藤の父親が社長を務める株式会社トラバースに入社し、会社員として勤務[7]。同社の軟式野球部にも所属してプレーしていたが、のちに退社している[8]

その後は地元の兵庫県に戻り、日伸梱包で勤務[2]。パーソナルジム「匡 workout」(宝塚市)と野球塾の運営[9]、宝塚市にある少年野球チーム「安倉里ノ坊キングス」のコーチを行っている[10]

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
2008 日本ハム 8 16 15 0 2 0 0 0 2 0 0 0 1 0 0 0 0 3 0 .133 .133 .133 .267
2010 9 15 14 2 3 2 0 0 5 0 0 0 0 0 1 0 0 3 2 .214 .267 .357 .624
2013 4 5 5 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 2 0 .200 .200 .200 .400
2014 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- .--- .--- .---
通算:4年 25 36 34 2 6 2 0 0 8 1 0 0 1 0 1 0 0 8 2 .176 .206 .235 .441

年度別守備成績

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捕手 一塁 三塁














































2008 日本ハム - 1 2 0 0 0 1.000 5 1 5 0 0 1.000
2010 3 3 0 0 0 0 1.000 0 0 0 - 3 26 1 0 4 1.000 -
2013 - 3 8 2 0 1 1.000 1 0 0 0 0 .000
2014 2 1 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000 1 4 0 0 0 1.000 1 0 1 0 0 1.000
通算 5 4 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000 8 40 3 0 5 1.000 7 1 6 0 0 1.000

記録

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背番号

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  • 23 (2003年 - 2008年)
  • 53 (2009年 - 2014年)

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d 03年ドラフト1位の尾崎 11年目でプロ初打点!”. スポニチ Sponichi Annex 野球. スポーツニッポン新聞社 (2013年4月23日). 2023年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。
  2. ^ a b プロ入り後に人生初の捕手に挑戦―― 元日ハムドラ1野手が苦しんだ"重圧"”. Full-Count(フルカウント) (2020年3月29日). 2023年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。
  3. ^ 「日本ハムがドラフト1巡目の尾崎内野手と仮契約/プロ野球」『読売新聞』(読売新聞社)2002年11月30日、東京朝刊 スポーツA面 25頁。
  4. ^ 日本ハム 尾崎、津田が背番号変更”. スポニチ Sponichi Annex 野球. スポーツニッポン新聞社 (2008年11月25日). 2023年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。
  5. ^ a b c 来季契約について”. 北海道日本ハムファイターズ (fighters.co.jp) (2014年10月21日). 2016年4月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。
  6. ^ 二軍暮らし ドラ1たちの「長すぎた午後」己に負け、運命に翻弄され一軍に上がれぬ悔しさは、惰性の中に埋もれていった”. 週刊現代 (gendai.media). 講談社. p. 3 (2014年12月5日). 2023年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。
  7. ^ 菊田康彦 (2015年1月15日). “元西武・星秀和引退、決め手は巨人・片岡との沖縄トレ”. Yahoo!ニュース. 2015年2月9日閲覧。
  8. ^ 新入団選手 トラバース野球部”. TRAVERS(トラバース)野球部のブログ (2018年1月23日). 2020年9月16日閲覧。
  9. ^ 変化球を克服…頭と体で覚える「交互打ち」 元ドラ1が伝授、必要な"間とタメ"”. Full-Count(フルカウント) (2023年4月18日). 2023年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。
  10. ^ 「バッチコイ」は意味がないから廃止 選抜V&元ドラ1の“悪しき風習”を取っ払う指導法”. Full-Count(フルカウント) ― 野球ニュース・速報・コラム ― (2022年3月7日). 2022年10月18日閲覧。
  11. ^ 2008年4月12日 【公式戦】 試合結果 (千葉ロッテvs北海道日本ハム)”. NPB.jp 日本野球機構. 2023年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。
  12. ^ 2013年4月23日 【公式戦】 試合結果 (福岡ソフトバンクvs北海道日本ハム)”. NPB.jp 日本野球機構. 2023年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月17日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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