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尾崎富士雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾崎 富士雄
基本情報
本名 尾崎 富士雄
階級 ウェルター級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1961-10-07) 1961年10月7日(63歳)
出身地 青森県八戸市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 31
勝ち 25
KO勝ち 16
敗け 6
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尾崎 富士雄(おざき ふじお、1961年10月7日 - )は、日本の元プロボクサー青森県八戸市出身。帝拳ボクシングジム所属。階級はウェルター級。ニックネームは和製デュラン

来歴

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八戸工業大学第一高等学校時代にインターハイライトウェルター級準優勝、1980年5月19日、デビュー戦で奥秋照雄と対戦し、1RKO勝ちを収めた。

東日本ジュニアウェルター級新人王を獲得するが、全日本新人王決定戦では西日本の赤井英和に3RKO負けを喫した。

1982年8月6日成田城健が持つ日本ライト級王座に挑戦し、判定で奪取。

1983年6月3日シャイアン山本に判定で敗れ王座陥落するも、9月2日の再戦で判定で奪還。しかし、12月2日友成光に7RKO負けを喫し、再び陥落。

階級をウェルター級に上げ、1985年6月6日串木野純也を判定で下し日本王座獲得。2度防衛後、1986年2月6日田端信之に判定で敗れ王座陥落。しかし6月5日の再戦で5RKOにより王座奪還。2度目の防衛戦はチャンピオン・カーニバル日本タイトル挑戦権獲得トーナメント優勝者の友成光相手にKO防衛し王座返上。

1988年2月5日アメリカ合衆国ニュージャージー州アトランティックシティマーロン・スターリング英語版が持つWBA世界王座に挑戦。尾崎は終盤に主導権を奪い、最終回にスターリングをロープに詰めて連打を叩き込むと、ダメージを負った王者がマウスピースを吐き出す場面もあった[1]。当時の「ニューヨーク・タイムズ」には、王者が尾崎より優れていることは明らかだったものの、軽いパンチを当てるだけで単なるジムワークのように戦う王者に試合の間じゅうブーイングが起こり、8回と9回の間のインターバルにはプロモーターが王者を怒鳴りつけ、ユナニマス・デシジョンで勝った王者のパフォーマンスにプロモーターと4,925人の観客の多くが当惑したと記述されている[2]

1988年7月7日フランシスコ・フェラーを判定で退け、OPBF東洋太平洋王座獲得。2度防衛後返上。

1989年12月10日後楽園ホールにてマーク・ブリーランドが持つWBA世界王座に、世界1位の指名挑戦者として再挑戦。3R終盤にブリーランドの左アッパーにより古傷の右瞼をカットして大流血、これが響いて4R35秒TKO負け。この試合を最後に現役引退、現在は美容室経営者の夫人の故郷・福岡県でサラリーマン生活を送っている。

戦績

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  • 31戦25勝(16KO)6敗

獲得タイトル

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  • 第28代日本ライト級王座(防衛3)
  • 第30代日本ライト級王座(防衛1)
  • 第30代日本ウェルター級王座(防衛2)
  • 第32代日本ウェルター級王座(防衛2=返上)
  • 第18代OPBF東洋太平洋ウェルター級王座(防衛2=返上)

入場曲

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「BEHIND THE RAIN」(ハーブ・アルパート

脚注

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  1. ^ ボクシング・マガジン編集部 編『日本プロボクシングチャンピオン大鑑』ベースボール・マガジン社、2004年3月1日、314頁。ISBN 978-4-583-03784-4 
  2. ^ Phil Berger (1988年2月6日). “Starling Is Winner In Lackluster Effort”. ニューヨーク・タイムズ. 2012年8月6日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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前王者
成田城健
第28代日本ライト級王者

1982年8月6日 - 1983年6月3日

次王者
シャイアン山本
前王者
シャイアン山本
第30代日本ライト級王者

1983年9月3日 - 1983年12月2日

次王者
友成光
前王者
串木野純也
第30代日本ウェルター級王者

1985年6月6日 - 1986年2月6日

次王者
田端信之
前王者
田端信之
第32代日本ウェルター級王者

1986年6月5日 - 1987年(返上)

空位
次タイトル獲得者
坂本孝雄
空位
前タイトル保持者
鄭栄吉
第18代OPBF東洋太平洋ウェルター級王者

1988年7月7日 - 1989年11月(返上)

空位
次タイトル獲得者
曺容培