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尾崎巌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
尾崎 巌
人物情報
生誕 1927年5月18日
大阪府大阪市
死没 (2008-05-11) 2008年5月11日(80歳没)
神奈川県鎌倉市
出身校 慶応義塾大学
配偶者 尾崎左永子
学問
研究分野 計量経済学
研究機関 慶応義塾大学
学位 経済学博士
称号 慶応義塾大学名誉教授
影響を受けた人物 ワシリー・レオンチェフ, 寺尾琢磨
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尾崎 巌(おざき いわお、1927年5月18日 - 2008年5月11日)は日本の経済学者慶応義塾大学経済学部名誉教授。専門は計量経済学環太平洋産業連関分析学会の初代会長(1998-1999年)を務めた[1]

学歴

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職歴

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慶応義塾大学経済学部副手・助手・助教授を経て、1968年慶応義塾大学経済学部教授,1965年-1966年にロックフェラー財団訪問研究員としてハーバード大学に滞在,慶応義塾大学産業研究所所長(1981-1987年)、日本経済データ開発センター研究所所長兼任(1970年-1972年)、早稲田大学大学院経済学研究科講師兼任(1972年-1989年)、京都大学経済研究所講師兼任(1980年-81年)、慶應義塾大学名誉教授(1992年-)[3]。尾崎と辻村江太郎小尾恵一郎は慶応大学の計量経済学・統計学の三羽烏と呼ばれた[6].学外委員として経済企画庁経済審議会計量部会委員(1966年-1989年)、通商産業省産業構造審議会産業資金部会委員などを務めた[3]。1989年には,宍戸駿太郎筑井甚吉と共に,中山素平(元経済同友会代表幹事)ら財界の協力を得て、環太平洋産業連関分析学会設立に尽力し,設立後は初代会長を務めた[1]

主な学術業績とその影響

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日本の基本分類産業連関表(1960年、1965年、450×350部門表)を用い、高成長経済に随伴する経済構造変化の基本的要因を計量的に解明すべく、素材別部門間投入経路を詳細に追跡し再配列することでブロック独立性と三角性[7]を同定した[8][注釈 1]。 尾崎が精力的に取り組んでいたもう一つの課題が事業所個票データを用いた生産関数の計量経済学的同定である[9]。尾崎の研究を特徴付けたのが、教科書的な生産関数と異なり、価格代替効果を含まず相似性(生産量が変化しても投入物間の比率は変わらない)も仮定しない「尾崎型生産関数」の応用であった[注釈 2]。上の二つの研究成果を統合し、経済発展の実証モデルを構築するのが尾崎のライフワークであった[13] [14] [4][15]ワシリー・レオンチェフは尾崎に最も大なる影響を与えた経済学者である[16][17][注釈 3]。尾崎が指導した大学院門下生で研究者となった人物には、井原哲夫(慶応義塾大学名誉教授)、石田孝造(立正大学名誉教授)、清水雅彦(慶応義塾大学名誉教授)、赤林由雄(慶応義塾大学経済学部講師)、鷲津明由(早稲田大学社会科学部教授)等がある[4][18]

尾崎の著作・論文は殆どが和文であるので、その直接的な国際的認知度は限られている(これは大半の日本人経済学者/エコノミストに当て嵌まる事実である[19])。然るに、中村は尾崎の名を冠した一般的費用関数形 The Generalized Ozaki Cost Function を国際学術誌に発表している[11]。更に、尾崎が考案した「単位構造系[20]」に着目して、産業エコロジー分野で用いられている Materlla Flow Analysis (MFA)の手法としてUPIOM (Unit Physical Input-Output of Materials)をやはり国際学術誌に発表している[21]

家族

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夫人は歌人の尾崎左永子。同夫人との間に一女[22]

注釈

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  1. ^ 産業連関表からのブロック性・三角性の同定は筑井甚吉とDavid Simpsonが既に1965年に発表していた[7]が、使用した産業連関表は日本表が124部門、米国表が192部門と尾崎が使用したものより解像度が低かった。Simpson-Tsukuiが独自に開発したアルゴリズムを用いたのに対し、尾崎らは専ら手作業で素材原料系を辿っている。ちなみに[8]にある再編成された投入産出表は手書きである。
  2. ^ 辻村江太郎は尾崎の研究を紹介し「1980年代の生産に関する実証研究はJorgenson的方向と尾崎的方向とに2分されるであろう」と述べている[10]。 一方、中村慎一郎は「伸縮的新古典派生産関数」である一般形Leontief生産関数と「尾崎型生産関数」を内包するより一般的な関数型 Generalized Ozaki cost function を導出している[11]。 尾崎の妻で歌人の左永子は、晩年の尾崎が病床にあってもなお、生産関数に深い関心を抱いていたことを詠んでいる[12]
  3. ^ 岩田暁一に依れば「お二人のお仕事に最も影響を与えた書物を私の推測で 1冊ずつ挙げるとすれば、小尾先生の場合はRagnar Frischの New Methods of Measuring Marginal Utility 1932)であり、また尾崎先生の場合は Wassily Leontiefの The Structure of American Economy, 1919-1929 (1940)であろう。FrischとLeontiefの分析対象や方法の違いは小尾・尾崎両先生のお仕事に色濃く反映されているように思われる。そして小尾・尾崎両先生はいずれも経済現象や構造の測定に精根を傾けている点で、FrischとLeontiefと同じか或いはむしろ彼らを凌駕していると思わざるをえない。」[4]

脚注

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  1. ^ a b 宍戸駿太郎尾崎巌先生を偲ぶ」『産業連関』第16巻第2号、環太平洋産業連関分析学会、2008年、3-4頁、doi:10.11107/papaios.16.2_3 
  2. ^ a b https://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub2-17.html
  3. ^ a b c d e 尾崎巌教授 略歴・著作目録 『三田学会誌』85-4, 1993, 739-742
  4. ^ a b c d 岩田暁一西川俊作編「KEO実証経済学」、慶應義塾大学産業研究所、1995年
  5. ^ 尾崎巌『経済構造の変化と技術構造 : 産業連関分析における投入構造の変化に関する実証的研究』慶應義塾大学〈経済学博士 乙第313号〉、1968年。 NAID 500000413967https://id.ndl.go.jp/bib/000009175299 
  6. ^ 宮川 公男,『一橋学園と私: 経済学部から商学部へ移って』一橋大学創立 150 年史準備室ニューズレター No.6 (2020.3) https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/sc/64131/HU150NEWSL0000600170.pdf
  7. ^ a b Simpson, David; Tsukui, Jinkichi (1965). “The Fundamental Structure of Input-Output Tables, An International Comparison”. The Review of Economics and Statistics 47 (4): 434-446. doi:10.2307/1927773. ISSN 0034-6535. https://www.jstor.org/stable/1927773. 
  8. ^ a b 尾崎巌, 石田孝造「経済の基本的構造の決定(一) : 投入・産出分析の手法による」『三田学会雑誌』第63巻第6号、慶應義塾経済学会、1970年6月、433(15)-453(35)、CRID 1390572632983971840doi:10.14991/001.19700601-0015ISSN 0026-6760 
  9. ^ Ozaki, Iwao "Economies of scale and input-output coefficients", in Anne Carter and A Brody eds., Applications of input-output analysis, Proceedings of the fourth international conference on input-output techniques, Geneva, 8-12 January 1968, volume 2, North-Holland, 1970, 280-302
  10. ^ 辻村江太郎『計量経済学』岩波書店, 1981, p. 196
  11. ^ a b Nakamura, Shinichiro "A nonhomothetic generalized Leontief cost function based on pooled data." The Review of Economics and Statistics (1990): 649-656.
  12. ^ 尾崎左永子『椿くれなゐ』砂子屋書房 2010
  13. ^ 鷲津明由「アジア発展の構造分析(一)-レオンチェフ~尾崎研究をふまえて」『早稲田社会科学総合研究』第9巻第1号、2008年、25-42頁。 
  14. ^ 鷲津明由「アジア発展の構造分析(二)-レオンチエフ~尾崎研究をふまえて」『早稲田社会科学総合研究』第9巻第2号、2008年、48-64頁。 
  15. ^ 蓑谷千凰彦. "慶應計量経済学派の胎動, 確立および発展." 三田学会雑誌 100.1 (2007): 79-140.
  16. ^ 尾崎巌.「ワシリー W. レオンチェフ教授の逝去を悼む」産業連関, 8(4), 4-5. 1999年
  17. ^ 特集「レオンチェフ博士追悼座談会」産業連関 Vol.9, No. 1, 1999年
  18. ^ 清水雅彦 "悠々たる天空の人尾崎巌先生" 三田評論 1115号 2008年
  19. ^ 『日本の対外情報発信の不足と経済論議の混迷』https://toyokeizai.net/articles/-/444061?page=4
  20. ^ 尾崎巌. "経済発展の構造分析 (三): 経済の基本的構造の決定." 三田学会雑誌 73.5 (1980): 720-66.
  21. ^ Nakamura, Shinichiro; Kondo, Yasushi; Matsubae, Kazuyo; Nakajima, Kenichi; Nagasaka, Tetsuya (2011-02-01). “UPIOM: A New Tool of MFA and Its Application to the Flow of Iron and Steel Associated with Car Production” (英語). Environmental Science & Technology 45 (3): 1114–1120. doi:10.1021/es1024299. ISSN 0013-936X. https://pubs.acs.org/doi/10.1021/es1024299. 
  22. ^ 徳山美砂/尾崎左永子『美砂ちゃんの遺歌集』紅書房 2014, ISBN 978-4-89381-298-8

関連項目

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