山下町公園
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山下町公園 | |
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横浜市中区の横浜中華街の山下町公園、正面から。会芳亭が右に見える。 | |
分類 | 都市公園(街区公園) |
所在地 |
横浜市中区山下町135-1 |
座標 | 北緯35度26分32.4秒 東経139度38分49.8秒 / 北緯35.442333度 東経139.647167度座標: 北緯35度26分32.4秒 東経139度38分49.8秒 / 北緯35.442333度 東経139.647167度 |
面積 | 1331m2 |
前身 | 中華民国総領事館 |
開園 | 1960年4月1日 |
運営者 | 横浜市 |
現況 | 24時間開放、入場無料 |
設備・遊具 | 砂場。(トイレは無い) |
駐車場 | 無し |
アクセス | みなとみらい線 元町・中華街駅 徒歩3分 |
公式サイト | 中土木事務所 |
山下町公園(やましたちょうこうえん)は、神奈川県横浜市中区山下町にある都市公園(街区公園)。海に面している山下公園とは別の公園である。
横浜中華街の比較的中央部に位置し、春節、双十節、関帝誕などでイベント会場として使用される事があり、春節パレードではスタートおよびゴール地点として使用される[1]。
歴史
[編集]- 1862年 横浜新田として、現在の中華街一帯の造成が完了[2]
- 1863年1月7日 中華会館が経営した施設である『同済病院』が480坪を借り受けた。これは横浜新田初の土地借用の記録である[2]。
- 1868年頃 1868年頃、劇場と料理屋を兼ねた娯楽施設である会芳楼(かいほうろう)がオープン[2]。
- 1878年頃 会芳楼が姿を消した[2]。
- 1883年 清国領事館が145番地から移転し、1911年に辛亥革命が起こるまでは清国総領事館として使用された[2]。
- 1911年 中華民国総領事館が置かれた[2]。
- 1923年9月1日 関東大震災により建物が倒壊し、総領事館は移転した[2]。
- 1925年 中華民国総領事館が一度135番地に戻った[2]。
- 1932年 中華民国総領事館が別の場所に移転した[2]。
- 1959年 会芳亭が公開[3]
- 1960年 児童公園としてオープン[2]
- 2000年1月頃 公園の再整備工事中、明治時代の瓦などが大量に出土した[4]
- 2000年6月20日 公園の再整備が行われ、会芳楼にちなんだ東屋『会芳亭』が建設された[2][4]。
交通
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
周辺
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公園内施設
[編集]- 屋根つきベンチ(会芳亭)
- 砂場 ただし非常に小規模で夜間は施錠されている
- 滑り台やブランコ等の遊具
- トイレは無い
- 狛犬(石獅子) 関帝廟通り入り口に1対
- けやきの大木 中華街のシンボルツリーと呼ばれる事があり、毎年11月頃から2月頃まで開催されるライトアップイベント"メモリアル春節燈花"でもこのけやきの大木はライトアップされる。
登場する作品
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画像
[編集]-
2008年の春節
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2012年の春節パレードが出発
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2009年の春節でイルミネーションされた欅
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2009年の春節で提灯に点灯された会芳亭
出典
[編集]- ^ “豪華けんらん! 春節ならではのおもてなし(とことん!横浜中華街)”. シティリビングWeb. サンケイリビング新聞社 (2009年1月7日). 2015年5月21日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “その2 135番地には何かがある!?中華街の歴史を語る場所”. 横浜中華街 (2009年). 2020年5月10日閲覧。
- ^ “会芳亭の歴史”. 横浜中華街. 2020年5月10日閲覧。
- ^ a b “その3 地中から顔を出す昔の中華街”. 横浜中華街 (2009年). 2012年12月4日閲覧。
- ^ “横浜セントラルタウンフェスティバル「Y156」”. 横浜中華街公式サイト. 2016年4月3日閲覧。
- ^ “11月16日(金)”. 2008「大決戦!超ウルトラ8兄弟」制作委員会 (2007年11月). 2020年5月10日閲覧。
- ^ “孤独のグルメ8 ロケ地ガイド”. 全国ロケ地ガイド. 2020年5月10日閲覧。
- ^ “松重豊「『毎回、同じことやってるな』と思いながら、ついつい見ちゃう。それくらいでちょうどいい」:孤独のグルメ”. TV東京. 2020年5月10日閲覧。
- ^ “神奈川文学年表 機関紙「神奈川近代文学館」総目次 神奈川近代文学館30年誌1984-2013(Web版)”. 神奈川近代文学館. 2020年5月10日閲覧。