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山中賢次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山中 賢次
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 徳島県名西郡神山町
生年月日 (1965-02-10) 1965年2月10日(59歳)
身長
体重
183 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 内野手
プロ入り 1982年 ドラフト6位
初出場 1988年10月2日
最終出場 1992年7月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山中 賢次(やまなか けんじ、1965年2月10日 - )は、徳島県名西郡神山町出身の元プロ野球選手内野手)。右投右打。

来歴・人物

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鳴門商業高では、エースとして2年秋の県大会決勝で翌夏に全国制覇する池田高畠山準に投げ勝って優勝。1982年春の選抜に出場。1回戦で大田勇治のいた鹿児島商工高と対戦するが、9回裏に逆転サヨナラ負けを喫する[1]

1982年のプロ野球ドラフト会議阪急ブレーブスから6位指名を受け入団。入団当時の背番号「20」は、郷里の大先輩である左腕投手の白石静生から引き継ぐ形に。

アンダースローからのカーブシンカーを武器にしたが、一軍登板がないまま1986年から内野手に転向。

1988年にはシーズン終盤の5試合に二塁手として先発するが、その後は出場機会が減少。1990年オフに自由契約となりヤクルトスワローズにテスト入団する。1992年限りで現役を引退。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1988 阪急
オリックス
9 15 15 2 2 0 0 0 2 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .133 .133 .133 .267
1989 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
1990 6 5 4 2 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 1 0 0 1 0 .250 .400 .250 .650
1992 ヤクルト 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
通算:4年 20 22 20 4 3 0 0 0 3 1 1 0 1 0 1 0 0 3 0 .150 .190 .150 .340
  • 阪急(阪急ブレーブス)は、1989年にオリックス(オリックス・ブレーブス)に球団名を変更

記録

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背番号

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  • 20 (1983年 - 1985年)
  • 58 (1986年 - 1990年)
  • 52 (1991年 - 1992年)

脚注

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  1. ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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