山交ビル
山交ビル Yamako Building | |
---|---|
山交ビル(駅前通り北西から) | |
店舗概要 | |
座標 | 北緯38度14分47.5秒 東経140度19分54.4秒 / 北緯38.246528度 東経140.331778度座標: 北緯38度14分47.5秒 東経140度19分54.4秒 / 北緯38.246528度 東経140.331778度 |
開業日 | 1972年6月15日 |
正式名称 | 山交ビル |
施設所有者 |
株式会社ヤマコー コミュニティ事業部 |
中核店舗 | ヤマザワ山交ビル店 |
駐車台数 |
623台 ※第1駐車場(立体 410台) 第2駐車場(立体 158台) 第3駐車場(55台) |
前身 | 日本専売公社(現・日本たばこ産業)山形工場 |
最寄駅 | 山形駅(JR東日本) 徒歩約5分 |
最寄バス停 | 山交バスターミナル 徒歩0分 |
最寄IC | 山形蔵王IC 車で約10分 |
外部リンク | 山交ビル |
ユトリアグループ UTORIA |
山交ビル(やまこうビル)は、山形県山形市香澄町三丁目にあるヤマコーが管理する商業ビルである。山交バスが運営するバスターミナルも併設されている。
概要
[編集]高度経済成長の進展によって、山形市においても山形駅前大通りの再開発が避けがたい問題となるが[1]、駅前には当時の新関善八市長が誘致に奔走し、1913年(大正2年)9月から操業を始めた日本専売公社(現:日本たばこ産業)山形工場があった[2]。
幸いにして、公社もその頃、生産システムの近代化をはかるために、条件の折り合いさえつけば、工場を移転してもよいとの意向を示していた[1]。その意向を受けて、1960年(昭和35年)ごろから市当局ならびに商工会議所は、陳情・交渉を重ねた[1]。この交渉経過において、公社は敷地、建物の売却は困難だが、物件交換なら応じても良いということで、公社がかねてから他の施設を建設するため目星をつけていた東京都渋谷区南平台町の土地を市が買収し公社に提供すれば、問題の山形工場のうち、倉庫敷地を除く土地を市に提供するとの交換条件を提示してきた[1]。市側はこれに応じる態度を固め、相互の評価額を査定し合った結果、公社側の要望に応じることに決定し、交換契約が成立した[3]。
この工場跡地は、駅前改造事業として、財団法人山形市開発公社が整備を担当することとなり、市が取得した土地と建物は市開発公社に委譲された[4][注釈 1]。
山交ビル開業
[編集]1971年(昭和46年)1月、市開発公社から工場跡地を取得した山形交通が再開発ビル建設を目的に資本金5000万円で山交ビルを設立し[7]、翌年6月15日、地下2階、地上8階の複合商業施設をオープンさせた[8]。地下1階から地上4階までは、ダイエー山形店がキーテナントとして入り、5階以上にはボウリング場、映画館、バンケットホール、さらに診療所のほか、レストラン街である味の名店街などが設けられた[8]。
1989年(平成元年)4月には、ビル後方のバスターミナル上にプールを新設し、さらに改装した6階にダイエーの子会社であるダイエーレジャーランドとの提携に基づき、トップロードの前身となるオレンジ・ワン・ヤマコーが県下における初の本格的スポーツクラブとして開業した[9][注釈 3]。
山交ビルはバスターミナルであることや、山形駅に近接する交通の利便性もあり市内における有数の商業施設の一つとして数えられてきた。しかし、モータリゼーションや市郊外における住宅地の開発に伴うドーナツ化現象などから、徐々に客足に陰りが見えはじめ、2001年(平成13年)に家賃を半額に引き下げた新契約を結んでダイエー山形店の営業を継続させた[10]。だが、家賃の引き下げにもかかわらず、ダイエー自体の業績不振も重なったため、その店舗の統廃合の一環として、05年11月20日を以ってダイエー山形店は閉店して撤退した[11]。
ダイエー撤退後
[編集]2006年(平成18年)3月18日、ダイエーの撤退したフロア跡の一部に地元スーパーであるヤマザワが出店した[12]。上層部には、雇用を生み出し山形市中心市街地の活性化を図ろうと空きテナントへの入居者が長らく募集されていたが、翌年11月28日にNTT東日本山形支店のコールセンターが設置され全てのテナントが埋まる形となった[13]。
2014年(平成26年)3月17日、1階に三越伊勢丹ホールディングスが展開し始めている地域密着型小型店の一つとして「エムアイプラザ三越山形店」(営業面積約430m2)が、同HD傘下である仙台三越の運営によって新規出店[14][15]。18年3月8日には、同年1月末で閉店した十字屋山形店に出店していたテナント等が改装工事を終えた2階で営業を始めた[16]。
事業主であるユトリアグループ傘下であるヤマコーボウル(ボウリング場)や、バンケットホールはオープン当時から変わらず営業している。また、夏季のビル屋上にて営業されるビアガーデンは夏の風物詩の一つでもあり、スポーツクラブとしては老舗となる「トップロード」は同ビルで20年以上の歴史を刻んでいる[17]。
テナント
[編集]山交ビルバスターミナル
[編集]山交バスが運営しているバスターミナルで、山交ビルのオープンと共に設立した。山形市近郊・郊外の路線バスと、長距離高速バスの発着点となっている。のりばはビル1階部分の北側と南側に分かれており、南側が主な発着点となっている。また南側のりばには「案内センター」が設置されており、各種乗車券・定期券の購入や時刻表を手に入れることができる。
2005年(平成17年)までは、山形行きの路線バスの多くは山交バスターミナル止まり(南側のりばへ停車)であったが、2006年(平成18年)春のダイヤ改正の際に終着点が「山形駅前」へ変更(バスターミナルでは北側のりばへ停車)され利便性が高まった[要出典]。
南側のりば
[編集]- 1番のりば
- 2番のりば
- 寒河江バスターミナル、山形病院(西田経由)、山形病院(北駅西・桧町・江俣西・嶋経由)
- 3番のりば(高速バス)
- 仙台、TOKYOサンライズ号(東京)、レインボー号(東京)
- 4番のりば(高速バス)
- 5番のりば
北側のりば
[編集]- 11番のりば
- 12番のりば
- 13番のりば
その他ビル周辺にあるのりば
[編集]- 山形センタービル前(ビル北側の道路を挟んで向かい側(進行方向:東))
- 山形病院(北駅西・桧町・江俣西・嶋経由)、山形病院(西田経由)、沼の辺、県庁、山形市役所経由千歳公園、山形市役所、東原経由千歳公園
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 専売公社は工場の移転先として、山形市清住町に新工場を建設した[4]。工場は1990年3月で操業を終了。同月からJTとニフコの合弁によって発足したJTニフコが操業を始め、工業用プラスチック製品の製造を行い[5]、ニフコ山形として今日に至る。なお、1993年にJTは、ニフコ山形の敷地にイトーヨーカドー山形店をキーテナントとするジョイフルタウン山形の計画を明らかにし、98年7月の開業を予定していた。しかし、景況の悪化のため、99年5月にイトーヨーカドーは出店の断念を表明し、JTは12月にSC計画の中止を決定した[6]。
- ^ 東北放送・山形放送・ラジオ福島の3局ネットで制作も持ち回りの公開録音だった STUDIO C2 SQUARE(1991年4月~1994年3月)で、山形放送(YBC)ラジオは山交ビルサテライトスタジオで公開録音していた。
- ^ 後年1階にはYBCによるサテライトスタジオ[注釈 2]が設けられここから1984年6月14日から毎日、YBCラジオの『YBCターミナルミュージック』提供:ダイエー山交ビル(金曜日を除く)が放送されていた。YBCアナや北見恭子がパーソナリティーを務めた。ただし、後に水曜日が定休日の場合は別番組(YBCヒットチャート)を放送していた。[要出典]
出典
[編集]- ^ a b c d 『山形市史 現代編』p.448
- ^ 『山形市史 現代編』p.447
- ^ 『山形市史 現代編』p.448 - 499
- ^ a b 『山形市史 現代編』p.449
- ^ 『新版山形県大百科事典』p.532
- ^ 「山形の工場跡地の商業施設計画が中止 JT、業者と合意」『朝日新聞』山形版 1999年12月23日
- ^ 『山形市史 現代編』p.442
- ^ a b 「流通新名所 山形駅前 山交ビル」『日経流通新聞』1981年3月2日
- ^ 「山交のスポーツクラブ、山形市できょう開業」『日本経済新聞』1989年4月8日
- ^ “ダイエー山形店がテナント半額に値切ってヤマコービルと新契約”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年4月16日)
- ^ “ダイエー、山形店・奈良店など6店を11月に追加閉鎖”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年9月15日)
- ^ “ヤマザワ、ダイエー山形店跡に進出”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年11月16日)
- ^ “コールセンターが進出/山交ビル”. 山形コミュニティ新聞. (2007年9月14日) 2013年11月23日閲覧。
- ^ “村山地区に春風運ぶ新店舗 イオンモール天童、エムアイプラザ三越山形店”. 山形新聞 (山形新聞社). (2014年3月18日)
- ^ “山形へ出店続々 仙台三越、イオン”. 河北新報(河北新報社). (2014年3月18日)
- ^ “十字屋の9店舗が山交ビルに移転 8日に新装オープン”. 山形新聞. (2018年3月6日) 2018年3月9日閲覧。
- ^ “スポーツクラブ、競争時代へ/山形市中心部 コース多様に、料金も低下”. 山形コミュニティ新聞. (2006年9月22日) 2013年11月23日閲覧。
- ^ 高速バス「仙台・山形線」バス停留所の増設について富山地方鉄道(令和2年2月吉日)2020年3月14日閲覧
参考文献
[編集]- 山形市史編さん委員会 『山形市史 現代編』 山形市、1981年。
- 山形放送株式会社新版山形県大百科事典発行本部事務局編 『新版山形県大百科事典』 山形放送、1993年。