山内吉郎兵衛
表示
山内 吉郎兵衛(吉郎兵衞、やまうち きちろべえ、1849年10月4日(嘉永2年8月18日[1]) - 1927年(昭和2年)8月21日[2])は、日本の弁護士。政治家、衆議院議員(1期)。諱は春正[1]。
経歴
[編集]備後国恵蘇郡本郷村(のち広島県比婆郡山内西村、現・庄原市)生まれ[1]。国学と仏学を学ぶ[1]。村吏、広島藩御用掛、戸長、学区取締、地租改正郡代議員、小区及び村総代、地租改正郡米価選定委員を経る[1][2]。また、代言人となる[1]。広島県会議員、同副議長、同議長、地方衛生委員、検疫委員を務めた[1][2]。
1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において広島9区からで自由党公認で立候補したが17票差で落選した[3]。同年8月の第6回衆議院議員総選挙で憲政党から立候補して当選する[4]。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1927年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『衆議院議員列伝』山崎謙編、衆議院議員列伝発行所、1901年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。