山内規重
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 天和2年(1682年) |
死没 | 享保6年8月29日(1721年10月19日) |
改名 | 深尾矩重→山内規重→畏斎(号) |
別名 | 通称:主馬 |
墓所 | 高知県高知市竹林寺 |
主君 | 山内豊房→豊隆→豊常 |
藩 | 土佐藩 |
氏族 | 深尾家→山内家 |
父母 | 父:山内重直、母:高善院 |
兄弟 | 規重、遠重、深尾重方正室 |
妻 | 西大路隆栄の娘・清涼院(富姫) |
子 | 豊敷、茂信 |
山内 規重(やまうち のりしげ)は、江戸時代中期の土佐藩家老。山内家の一門。山内豊敷の父。
略歴
[編集]天和2年(1682年)、後に山内姓を許された山内重直の子として誕生した。
5代藩主・山内豊房の下で奉行、そして家老となり、緊縮財政政策を採用するなど補佐した。儒学者であり、浅見絅斎に師事した。山内家の一族の中でも人望があった。しかし、正徳元年(1711年)12月26日、家老深尾某の婚儀に関連したことが原因で、来住していた香美郡山北村に蟄居を命ぜられ失脚した。
跡を継いだ7代藩主・山内豊常は規重を再び登用したが、享保6年(1721年)に死去した。享年40。
著作に『学否弁論』がある。