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山内規重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山内規重
時代 江戸時代中期
生誕 天和2年(1682年
死没 享保6年8月29日1721年10月19日
改名 深尾矩重→山内規重→畏斎(号)
別名 通称:主馬
墓所 高知県高知市竹林寺
主君 山内豊房豊隆豊常
土佐藩
氏族 深尾家山内家
父母 父:山内重直、母:高善院
兄弟 規重遠重深尾重方正室
西大路隆栄の娘・清涼院(富姫)
豊敷茂信
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山内 規重(やまうち のりしげ)は、江戸時代中期の土佐藩家老。山内家の一門。山内豊敷の父。

略歴

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天和2年(1682年)、後に山内姓を許された山内重直の子として誕生した。

5代藩主・山内豊房の下で奉行、そして家老となり、緊縮財政政策を採用するなど補佐した。儒学者であり、浅見絅斎に師事した。山内家の一族の中でも人望があった。しかし、正徳元年(1711年)12月26日、家老深尾某の婚儀に関連したことが原因で、来住していた香美郡山北村に蟄居を命ぜられ失脚した。

跡を継いだ7代藩主・山内豊常は規重を再び登用したが、享保6年(1721年)に死去した。享年40。

著作に『学否弁論』がある。

関連項目

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