山前王
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山前王(やまくまおう/やまくまのおおきみ、生年不詳 - 養老7年12月20日(723年1月20日))は、飛鳥時代から奈良時代にかけての皇族。天武天皇の孫。知太政官事・忍壁皇子の子。官位は従四位下・刑部卿。
経歴
[編集]慶雲2年(705年)6月に父の知太政官事・忍壁皇子が没すると、同年12月に山前王は二世王の蔭位により従四位下に直叙される。その後、刑部卿などを歴任したが[1]、目立った事績がないまま養老7年(723年)12月20日卒去。最終官位は散位従四位下。
人物
[編集]『万葉集』に、兄弟の石田王が没した際に詠んだ挽歌1首(一説では柿本人麻呂作)と[2]、紀皇女が没した際に石田王に代わって詠んだ挽歌2首の[3]、合わせて3首の和歌作品が採録されている。『懐風藻』にも漢詩作品1首が採録されている。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
系譜
[編集]天平宝字5年(761年)に子息の葦原王は殺人を犯したために、龍田真人姓を与えられ、臣籍降下させられている。