山吉能盛
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武士の「山吉義盛」とは別人です。 |
時代 | 室町時代後期 - 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
氏族 | 山吉氏 |
妻 | 正室:長尾重景娘? |
子 | 政久? |
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山吉 能盛(やまよし よしもり)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。越後国三条城代。蒲原郡郡代。
永正4年(1507年)8月、上杉定実を擁立した長尾為景が反旗を翻し、越後守護・上杉房能を急襲し自害に追い込んだ永正の乱で、能盛は為景に加担した。その後の揚北衆の反攻や房能の兄で関東管領・上杉顕定の越後侵攻の際も、いずれも能盛は為景に与して、本成寺の僧兵らと共に三条城を死守した。
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