山崎栄次郎
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山崎 栄次郎(やまざき えいじろう、1911年〈明治44年〉4月17日[1][2][3] - 1987年〈昭和62年〉2月3日[1][2])は、日本の政治家。東京都墨田区長(3期)。甥は墨田区長を4期務めた山崎昇。
来歴
[編集]富山県西礪波郡西野尻村(のち福野町、現・南砺市)出身[3][注 1]。小学校卒業後は東礪波郡福野町(現・南砺市)役場に就職する[3]。その後、上京し、目白商業学校(現・目白研心中学校・高等学校)で学ぶ[3][注 2]。東京市向島区役所に入り、戦時中に召集され、ソ連軍に抑留される[3]。戦後、帰国し、墨田区役所に復帰[3]。1963年〈昭和38年〉墨田区助役に就任[1][3]。1974年〈昭和49年〉に区長となる[1]。
翌1975年〈昭和50年〉区長公選制復活で墨田区長選挙に立候補し、当選。区長を3期務める。在任中の1978年〈昭和53年〉に隅田川花火大会を復活させ、翌1979年〈昭和54年〉には、「不燃建築物建築助成制度」を発足させた。さらに、蔵前(台東区)にあった国技館を相撲の地の両国に建設することを提案、奔走の末、1985年〈昭和60年〉1月に両国国技館が完成した[3]。
1987年〈昭和62年〉1月に健康問題を理由に次期区長選挙への不出馬を表明[4]。2月3日に心不全で死去した[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。