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山崎百貨店

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
有限会社山崎呉服店[1]

株式会社山崎呉服店[1]

株式会社山崎百貨店[1]
本社所在地 日本の旗 日本
栃木県宇都宮市江野町3199[1]
設立 1948年昭和23年)10月[1]
業種 小売業
事業内容 百貨店
代表者 山崎順蔵(社長)[1]

山崎峯雄(社長)[2]
資本金 10万円[1]

100万円[1]

1600万円[2]
決算期 8月[1]
主要株主 山崎順蔵62%[1]
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山崎百貨店
店舗概要
所在地 栃木県宇都宮市江野町3199[1]
開業日 1926年(大正15年)[1]
閉業日 1974年(昭和49年)6月26日[3]
延床面積 4,362 m²[4]
商業施設面積 2,640[1]

6,900 m²[5]
後身 (2代目)緑屋宇都宮店[3]
最寄駅 東武宇都宮駅
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山崎百貨店(やまざきひゃっかてん)は、栃木県宇都宮市にあった日本の百貨店である[1]

歴史・概要

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新潟県出身の山崎順蔵が同県柏崎市の大掛呉服店に勤めたのち[1]1924年大正13年)に栃木県宇都宮市旭町で[1]山崎呉服店を開いたのが始まりである[2]

1926年(大正15年)に宇都宮市江野町に移転したが、戦時統制下で休業となった[1]

1948年昭和23年)10月に「有限会社山崎呉服店」を設立して法人化し、1951年(昭和26年)10月に「株式会社山崎呉服店」に改組し、1959年(昭和34年)10月に株式会社山崎百貨店に商号変更した[1]

1960年(昭和35年)10月25日に従業員180名が「山崎百貨店労働組合」を結成した[6]

1963年(昭和38年)に大田原市の映画館「大田原劇場」跡に出店した[7]

1964年(昭和39年)4月23日に隣接する「キャバレー新世界」で発生した火事で類焼し、鉄筋コンクリート造地下1階・地上5階建て・延べ床面積4,362m2の店舗が全焼した[4]

西武百貨店の宇都宮進出に対抗するため、1970年(昭和45年)に売場面積を約3,500m2増床して約6,900m2へ拡大し[5]1971年(昭和46年)9月に東急百貨店と業務提携して商品供給と人材派遣を受けた[8]

1974年(昭和49年)5月29日に業績不振で店舗の営業権を譲渡して[9]、同年6月26日に閉店し[3]、同年7月に不動産賃貸業に転換した[10]。 そして、同年12月に当店跡に緑屋宇都宮店が開店した[11]

年表

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過去に存在した店舗

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『日本繊維商社銘鑑 昭和36年版』 東京信用交換所、1961年9月15日。pp2178-2179
  2. ^ a b c d e f 『日本繊維商社銘鑑 1969年版』 東京信用交換所、1968年。pp2069
  3. ^ a b c d “街のルポ・宇都宮”. ショッピングセンター 1975年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年5月1日).pp22
  4. ^ a b c 宇都宮市消防本部 『山崎百貨店の火災概況』 火災 14巻4号 通巻55号 (日本火災学会) (1964年11月). pp45
  5. ^ a b c 『栃木年鑑 昭和46年版』 栃木新聞社、1970年12月1日。pp64
  6. ^ a b 『栃木年鑑 昭和37年版』 栃木新聞社、1962年1月1日。pp74
  7. ^ a b c 『大田原市史 後編』 大田原市、1982年12月1日。pp767
  8. ^ a b 『栃木年鑑 昭和47年版』 栃木新聞社、1972年3月20日。pp72
  9. ^ a b 『栃木年鑑 昭和50年版』 栃木新聞社、1975年3月31日。pp37
  10. ^ a b “甲府「中込」にみる地方百貨店の没落”. 財界 1975年春季特大号 (財界研究所) (1975年5月).pp114-115
  11. ^ a b “西武が緑屋に資本参加した本当の事情 丸紅と西武の頂上会談で岡本社長はツンボ桟敷にともいわれるが”. 実業界 1975年4月15日号 (実業界) (1975年4月15日).pp64-66