山形光政
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山形 光政(やまがた みつまさ、天文10年(1541年) - 天正18年9月21日[1](1590年10月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての地下人。
山形光秀の子。子に山形資宗。極位極官は従四位上加賀守。天正14年(1586年)、院昇殿を許された。50歳で卒去した。
官歴
[編集]- 天文19年10月4日(1550年11月12日)、任右衛門少尉(10歳)
- 永禄2年12月30日(1560年1月27日)、叙従五位下(19歳)
- 永禄11年12月29日(1569年1月16日)、叙従五位上(28歳)
- 天正3年12月29日(1576年1月29日)、叙正五位下、任加賀守(35歳)
- 天正7年11月18日(1579年12月6日)、叙従四位下(39歳)
- 天正12年12月10日(1585年1月10日)、叙従四位上(44歳)
系譜
[編集]- 父:山形光秀
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 男子:山形資宗
脚注
[編集]- ^ 『晴豊記』天正十八年九月廿一日条「廿一日(中略)今夜山形加賀相はて井家ふさかり申候也」