山本三男
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山本 三男(やまもと みつお、1888年(明治21年)2月22日[1] - 1969年(昭和44年)3月25日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓・浜田(濱田)。1925年(大正14年)2月25日、山本に改姓した[2]。
経歴
[編集]熊本県出身[1][3]。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[1][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第23連隊付となる[4][5]。
1920年(大正9年)4月、歩兵大尉に昇進し歩兵第23連隊付となる[6]。1936年(昭和11年)8月、歩兵大佐に昇進し第2師団兵器部長に就任[3]。1938年(昭和13年)7月、歩兵第84連隊長に発令され日中戦争に出征[1][3]。1939年(昭和14年)6月、陸軍少将に進級し歩兵第1旅団長に就任[1][3]。1941年(昭和16年)10月、留守第65独立歩兵団長に転じた[1][3]。1942年(昭和17年)4月、陸軍中将に進み、同年7月、留守第20師団長となる[1][3]。
1943年(昭和18年)3月、第3師団長に親補され中国戦線に出征[1][3][7]。湘桂作戦などに参戦した[1]。1945年(昭和20年)3月、第93師団長に転じ[3][8]、九十九里浜で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[9]。
栄典
[編集]- 1911年(明治44年)3月10日 - 正八位[10]
- 1914年(大正3年)2月10日 - 従七位[11]
- 1919年(大正8年)3月20日 - 正七位[12]
- 1924年(大正13年)5月15日 - 従六位[13]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『日本陸軍将官辞典』778頁。
- ^ 『官報』第3781号、大正14年4月2日。
- ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』278頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、278頁。
- ^ 『官報』第8256号、明治43年12月27日。
- ^ 『官報』第2304号、大正9年4月10日。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、372頁。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、379頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」193頁。
- ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。※濱田三男
- ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。※濱田三男
- ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。※濱田三男
- ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。※濱田三男
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。