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山本正房

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山本 正房(やまもと まさふさ、1898年明治31年〉8月30日 - 1971年昭和46年〉3月5日)は日本の実業家、新聞経営者。元中国新聞社社長、元広島商工会議所会頭。

来歴

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広島県出身[1]旧制広陵中学を卒業後、父である山本三朗が創立した中国新聞社に入社した[1]。1933年(昭和8年)副社長に就任[1]。当時の社長は義兄の山本実一だった[1]原爆投下被害からの再建にも尽力した[1]

1958年(昭和33年)9月に山本実一が現職のまま死去したのを受けて、社長に就任した[2]

広島商工会議所会頭、中国放送取締役、広島カープ球団代表等の役職も務める[1]。1971年(昭和46年)3月5日死去(満72歳没)[1]

関連文献

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  • 山本正房追悼録刊行委員会(編)『山本正房追悼録』中国新聞社、1971年8月

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 山本正房」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E6%AD%A3%E6%88%BFコトバンクより2021年3月8日閲覧 
  2. ^ “『信頼』山本朗回想録 <17>父の死”. 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター. (2012年10月15日). https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=22316 2021年3月8日閲覧。