山根一貫
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山根 一貫(やまね かづつら、1869年4月22日(明治2年3月11日) - 1917年8月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。男爵。旧姓:橋本。[要出典]
経歴
[編集]橋本房吉の長男として、山口県万倉村字矢矯(現在 宇部市大字万倉矢矯)に生まれる。幼名を慶蔵と称し、山口師範学校講習科の講習で万倉小学校で教鞭を取り、後東京教導団に入団、時に19歳であった。1891年(明治24年)7月、陸軍士官学校(第2期)を卒業する。日清戦争に出征、中尉に進み、明治28年山根家に入籍、陸軍少将山根信成の嫡子となる。
1899年(明治32年)12月に陸軍大学校(13期)を卒業し、陸士勤務となる。のちフランスに駐在する。父の死去に伴い、1895年(明治28年)10月30日、男爵を襲爵した[1]。
1909年(明治42年)12月に侍従武官、1910年(明治43年)11月には歩兵大佐に昇進。1912年(大正元年)12月、東宮武官長に就任するが、1916年(大正5年)4月1日[2]、陸軍少将に進み、侍従武官を兼務。1917年(大正6年)8月、在職のまま死去した。
家族
[編集]- 実父・橋本房吉 ‐ 山口県平民[3]
- 養父・山根信成 ‐ 軍人、男爵。
- 妻・ミツ ‐ 信成の娘[3]
- 長男・山根成一 ‐ 男爵。岳父に豊沢弥二(子爵三島通庸二男)。[3][4]
- 二男・松村弘之 ‐ 男爵。松村政頴(子爵田尻稲次郎の三男で男爵松村淳蔵家の養子となって襲爵)の養子。妻の光子は淳蔵の甥・松村政俊と稲次郎の甥の娘イクとの娘。[5]
- 相婿・白井二郎 ‐ ミツの姉の夫
栄典
[編集]- 位階
- 1892年(明治25年)7月6日 - 正八位[6]
- 1895年(明治28年)2月13日 - 従七位[7]
- 1895年(明治28年)11月20日 - 従五位[8]
- 1908年(明治41年)12月26日 - 従四位[9]
- 1916年(大正5年)5月1日 - 正四位[10]
- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]- ^ 『官報』第3703号、明治28年10月31日。
- ^ 『日本陸軍将官辞典』では、1915年2月15日。
- ^ a b c 山根一貫『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 大衆人事録 第3版 タ-ワ之部,補遺 1930年「山根成一」
- ^ 松村弘之『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
- ^ 『官報』第2707号「叙任及辞令」1892年7月7日。
- ^ 『官報』第3485号「叙任及辞令」1895年2月14日。
- ^ 『官報』第3721号「叙任及辞令」1895年11月21日。(従七位からの昇叙)
- ^ 『官報』第7653号「叙任及辞令」1908年12月28日。
- ^ 『官報』第1123号「叙任及辞令」1916年5月2日。
- ^ 『官報』第6608号「叙任及辞令」1905年7月11日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位 | ||
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先代 山根信成 |
男爵 山根(信成)家第2代 1895年 - 1917年 |
次代 山根成一 |