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白井二郎

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白井 二郎(しらい じろう、1867年7月12日慶応3年6月11日[1][2]) - 1934年昭和9年)9月3日[1][2])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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長州藩士陸軍中佐、白井胤良の二男として生れる[1]1881年明治14年)5月、陸軍士官学校幼年生徒隊に入る[1]1887年(明治20年)7月、陸士(旧9期)を首席で卒業し歩兵少尉に任官、歩兵第8連隊小隊長となる[2][3][4]1893年(明治26年)11月、陸軍大学校(9期)を優等で卒業[1][2][3]

1894年(明治27年)8月、第1軍兵站監部副官となり日清戦争に出征[1]1895年(明治28年)6月、第2師団参謀となり、参謀本部第4部員、陸大教官を経て、1900年(明治33年)12月、歩兵少佐に昇進[1]1901年(明治34年)11月、フランス駐在を命ぜられた[1]1904年(明治37年)4月、参謀本部付、同年5月、第3軍参謀(作戦主任)に補せられ日露戦争に出征[1][2][3]旅順攻囲戦奉天会戦に参戦[2]。この間、同年10月、歩兵中佐に進級[1]1905年(明治38年)4月、侍従武官に転じた[1][3]1907年(明治40年)10月、第15師団参謀長に異動し、同年11月、歩兵大佐に昇進した[1][3]

1909年(明治42年)4月、フランス大使館武官に補された[1][3]1910年(明治43年)11月、歩兵第27連隊長に就任[1][3]1912年(明治45年)2月、陸軍少将に進級し歩兵第28旅団長となる[1][2][3]1913年大正2年)8月、歩兵第6旅団長に移り、朝鮮総督府付武官、歩兵第40旅団長を経て、1916年(大正5年)8月、陸軍中将に進み旅順要塞司令官に着任[1][2][3]1918年(大正7年)7月、第8師団長に親補され、1921年(大正10年)7月、予備役に編入された[1][2][3]

栄典

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位階
勲章等

親族

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  • 妻 白井芳子 山根信成(陸軍少将)の娘[1]
  • 義弟 平田時丸(陸軍大佐)[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 『日本陸海軍総合事典』第2版、82頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』382頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』78-79頁。
  4. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版。82、625頁。
  5. ^ 『官報』第2193号「叙任及辞令」1890年10月20日。
  6. ^ 『官報』第2571号「叙任及辞令」1892年1月28日。
  7. ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
  8. ^ 『官報』第5337号「叙任及辞令」1901年4月22日。
  9. ^ 陸軍少将小原芳次郎外百八十四名叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10110166900 
  10. ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
  11. ^ 『官報』第8640号「叙任及辞令」1912年04月11日。
  12. ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
  13. ^ 『官報』第1858号「叙任及辞令」1918年10月11日。
  14. ^ 『官報』第2717号「叙任及辞令」1921年8月20日。
  15. ^ 『官報』号外「辞令」1896年11月17日。
  16. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  17. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
先代
奥田正忠
歩兵第27連隊隊長
第6代:1910年11月30日 - 1912年2月14日
次代
大森狷之介
先代
足立愛蔵
旅順要塞司令官
第8代:1916年8月18日 - 1918年7月17日
次代
金久保万吉
先代
大井成元
第8師団師団長
第6代:1918年7月2日 - 1921年7月20日
次代
小野寺重太郎