山梨県の歌

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山梨県の歌

県民歌の対象
山梨県

作詞 矢沢千里
作曲 岡本敏明
採用時期 1950年8月12日
言語 日本語
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山梨県の歌」(やまなしけんのうた)は日本都道府県の一つ、山梨県1950年昭和25年)に制定した県民歌である。作詞・矢沢千里、補作・「山梨県の歌」歌詞審査委員会[1]、作曲・岡本敏明

解説[編集]

山梨県選定 山梨県の歌
藤井典明/大谷洌子シングル
B面 軽音楽「光すがしい」
(「山梨県の歌」のインストゥルメンタル
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 都道府県民歌
レーベル ビクターレコード(PR1081)
作詞・作曲 作詞:矢沢千里
補作:「山梨県の歌」歌詞審査委員会
作曲:岡本敏明
編曲:小沢直与志(B面)
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1950年の県政60周年記念事業の一環として歌詞の公募を実施し、8月12日に制定された[2]。入選は「該当作無し」とされたが佳作の1編を審査委員会が補作し、曲は審査委員会の依頼で岡本敏明が作曲した。制定の意義は「戦後の混乱期にあって、郷土の素晴らしさを認識し、理想山梨建設の郷土愛を高揚させる」こととされており[2]、いわゆる「復興県民歌」の一つに挙げられる。同年11月3日に発表音楽会が開催され、藤井典明朝倉章子の歌唱で初演奏が行われた[3]。ただし、発表演奏会の後にビクターレコード(現在のJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)が製造したSPレコードの女声パートは大谷洌子が歌唱している。

現在は県主催の行事で演奏される他、県庁の庁内放送で昼休み時間に1977年(昭和52年)発表の県民愛唱歌「緑のふるさと」と合わせて流されている[2]

その後[編集]

1951年(昭和26年)に東京都文京区が「文京区歌」の一般公募を実施したが、当初の入選作品が「山梨県の歌」の盗作であったとして受賞を取り消される騒動が発生した[4]。この際に受賞を取り消された当初の入選者は同年10月21日に制定された「神戸市歌」で入選し、汚名を返上している[5]

脚注[編集]

  1. ^ 国民文化協会『事典 シンボルと公式制度 日本篇』(国際図書、1968年)、174ページ。
  2. ^ a b c 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版2012年ISBN 978-4-490-20803-0 、218ページ。
  3. ^ 山梨日日新聞、1950年11月4日付。
  4. ^ 読売新聞東京本社版)、1951年2月8日付4面「剽窃か 文京区歌」。
  5. ^ 神戸新聞、1951年8月31日付3面「神戸市歌きまる 入選一編、佳作五編を発表」。

外部リンク[編集]