大谷洌子
大谷 洌子(おおたに きよこ、1919年1月1日 - 2012年5月8日)は、昭和期の声楽家(ソプラノ)、歌手。出生年を1921年とする文献もある。
経歴
[編集]広島県広島市国泰寺町(現・中区国泰寺町)出身。両親はいずれも広島一中(現・広島国泰寺高校)の教師だった。1940年武蔵野音楽学校卒業。同期生に高英男、木下忠司がいる。原信子に師事。
同年、ビクターレコードから歌手デビュー。1941年に、柴田睦陸と「出せ一億の底力」を吹き込む。
1942年には、灰田勝彦と、「ジャワのマンゴ売り」や「空の神兵」を吹き込みヒットさせている。
前年、第10回毎日音楽コンクール声楽部門入賞をきっかけに藤原歌劇団歌舞伎座公演『ファウスト』の主役・マルガレーテ役に抜擢されオペラ界にデビュー、新人でマルガレーテを演じた冽子は「オペラ界のシンデレラ」ともてはやされた。しかし、オペラ上演はやがて戦時体制化で禁止され、JOFK(NHK)嘱託としてラジオで行進曲や軍歌を歌った。
本格的なオペラ歌手としてのスタートは、戦後1946年1月、藤原歌劇団の復活公演『椿姫』だった。この公演はオペラ時代の幕開けともなった。以来『蝶々夫人』『カルメン』『ラ・ボエーム』等に主演し同団の花形スターとなった。マスコミでも盛んに取り上げられ、「アサヒグラフ」や「婦人公論」、「新女苑」などの雑誌、週刊誌でグラビアを飾った。
1952年から1957年にかけてアメリカとイタリアを始め欧州各地へ留学、ニューヨークのタウンホールで独演会を開く等した。1955年12月31日、『第6回NHK紅白歌合戦』に初出場(曲は「チリビリビン」)。この『紅白』の大谷の歌のラジオ中継の音声が現存する。
1957年にはオペラ『夕鶴』でつう役を務めた。日本オペラ振興会常務理事等の要職の他、1963年から母校・武蔵野音楽大学に請われ講師。その他、作陽音楽大学客員教授、日本大学芸術学部講師、東京声専音楽学校・昭和音楽大学講師、のち昭和音楽芸術学院校長等を務め多くの後進を育てた。
1976年にはイラン・テヘラン歌劇場で『蝶々夫人』を演出するなど世界的なソプラノ歌手として知られた。
主な舞台出演
[編集]- 日本合唱団(藤原歌劇団)公演『ファウスト』マルガレーテ(1942年6月29・30日・7月1日、歌舞伎座)[2]
- 藤原歌劇団公演『ボエーム』ミミ(1943年4月3-5日、東京劇場)[3]
- 藤原歌劇団公演『セビリアの理髪師』ロジーナ(1943年5月28~30日、歌舞伎座)[3]
- 藤原歌劇団公演『椿姫』ヴィオレッタ(1946年1月27-31日、帝国劇場)[4]
- 藤原歌劇団公演『カルメン』ミカエラ(1946年4月27-30日・5月2-5日、帝国劇場)[5]
- 藤原歌劇団公演『道化師』ネッダ(1946年9月20-30日、帝国劇場)[6]
- 藤原歌劇団公演『椿姫』ヴィオレッタ(1947年1月16-21日、大阪毎日会館)[7]
- 藤原歌劇団公演『ボエーム』ミミ(1947年2月13-23日、帝国劇場)[8]
- 藤原歌劇団公演『カルメン』ミカエラ(1947年12月6-25日、帝国劇場)[9]
- 藤原歌劇団公演『セビリアの理髪師』ロジーナ(1948年3月5-20日・23-30日、帝国劇場)[10]
- 藤原歌劇団公演『椿姫』ヴィオレッタ(1948年5月28日-6月3日、有楽座)[10]
- 藤原歌劇団公演『蝶々夫人』蝶々さん(1948年9月1-12日、帝国劇場)[11]
- 藤原歌劇団公演『春香』春香(1948年11月20-26日、有楽座)[12]
- 藤原歌劇団公演『カルメン』ミカエラ(1949年1月15-28、帝国劇場)[13]
- 藤原歌劇団公演『椿姫』ヴィオレッタ(1949年3月12-25日、帝国劇場)[14]
- 藤原歌劇団公演『蝶々夫人』蝶々さん(1949年8月2-24日、帝国劇場)[15]
- 藤原歌劇団公演『エウゲニ・オネーギン』タチアーナ(1949年12月2-14日、帝国劇場)[16]
- 藤原歌劇団公演『カルメン』ミカエラ(1950年2月7-12日、日比谷公会堂)[17]
- 藤原歌劇団公演『椿姫』ヴィオレッタ(1950年2月15-28日、有楽座)[17]
- 藤原歌劇団公演『ビアンカ』ビアンカ(1950年6月25・26日、日比谷公会堂)[18]
- 藤原歌劇団公演『ジプシー男爵』ザフィ(1950年9月28・29日、名古屋市公会堂)[19]
- 藤原歌劇団公演『ファウスト』マルガレーテ(1950年12月15-29日、帝国劇場)[19]
- 藤原歌劇団公演『カルメン』ミカエラ(1951年2月26-28日、歌舞伎座)[20]
- 藤原歌劇団公演『ミニョン』フィリーヌ(1951年9月1-14日、新橋演舞場)[21]
- 藤原歌劇団公演『蝶々夫人』蝶々さん(1951年12月19-23日、新橋演舞場)[22]
- 藤原歌劇団公演『ヘンゼルとグレーテル』グレーテル(1952年1月28日、日比谷公会堂)[22]
- 藤原歌劇団公演『夕鶴』つう(1952年1月30日-2月6日、大阪朝日会館、2月7日京都公楽会館)[23]
- NHK・藤原歌劇団公演『タンホイザー』ヴェーヌス(1952年5月28-30日、歌舞伎座)[24]
- NHK・藤原歌劇団公演『ドン・ジョヴァンニ』ツェルリーナ(1952年7月3-5日、日比谷公会堂)[25]
- グルリット・オペラ協会公演『椿姫』ヴィオレッタ(1952年10月3・4日、名古屋市公会堂)[26]
- 日本ビクター創立25周年記念公演『夕鶴』つう(1952年10月30日、新橋演舞場)[27]
NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 |
---|---|---|
1955年(昭和30年)/第6回 | チリビリビン | 柴田睦陸 |
脚註
[編集]- ^ 訃報:大谷洌子さん93歳=声楽家 毎日新聞 2012年5月9日閲覧
- ^ 増井敬二・昭和音楽大学オペラ研究所『日本オペラ史 ~1952』(水曜社、2003)p279
- ^ a b 増井p289
- ^ 増井p327
- ^ 増井p331
- ^ 増井p332
- ^ 増井p333
- ^ 増井p334
- ^ 増井p342
- ^ a b 増井p344
- ^ 増井p346
- ^ 増井p357
- ^ 増井p348
- ^ 増井p351
- ^ 増井p352
- ^ 増井p353
- ^ a b 増井p380
- ^ 増井p382
- ^ a b 増井p385
- ^ 増井p391
- ^ 増井p393
- ^ a b 増井p394
- ^ 増井p399
- ^ 増井p402
- ^ 増井p404
- ^ 増井p405
- ^ 増井p400