山田はるみ
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やまだ はるみ 山田 はるみ | |
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本名 | 山田はるみ |
生年月日 | 1951年9月6日(73歳) |
出生地 | 日本・東京都文京区 |
山田 はるみ(やまだ はるみ、1951年9月6日[1][2][3][4] - )は、日本の元女優。本名同じ[1][2][3][5]。
東京都[2][3][4][5]文京区[1]出身。八雲高等学校卒業[1][2]。市谷企画を経て[5]、細谷事務所に所属していた[2]。
来歴
[編集]小学生時代より、少女雑誌のモデルやCMで活動する[1][3][4][5]。
高校在学中の1969年6月、「100万円スター・コンテスト」に応募し、6千人の応募の中でグランプリとなり映画『華麗なる闘い』で女優デビューし[5]、同時に東宝へ入社[1][3][4]。翌年9月に東宝テレビ部へ移籍する。なおコンテストの最終選考に残った七人の中には大田黒久美、皆川妙子、桐生かほるらがおり、「山田はるみとファニーセブン」という名前で活躍した。1970年から1972年にかけてミス宝くじも務めた[1]。
1970年に東宝テレビ部に移籍して1976年まで在籍する[1]。1972年のテレビドラマ「マドモアゼル通り」では、主役の三上裕子(紀比呂子)のライバルを演じ、1976年の『雲のじゅうたん』では、主役の小野間真琴(浅茅陽子)の親友を演じ、舞台でも活躍した。
1979年の紹介記事では、一週間の間に茶道、三味線、日舞、ピアノなど七種類の稽古事に励んでいると紹介されている[5]。
出演
[編集]映画
[編集]- 華麗なる闘い(1969年、東宝)- 縫い子
- ブラボー!若大将(1970年、東宝)- 直子
- 社長学ABC(1970年、東宝)- 山田(秘書課)
- 蝦夷館の決闘(1970年、東宝)- おりく(女郎)
- 続・社長学ABC(1970年、東宝)- 山田(秘書課)
- 凄い奴ら(1971年、東京映画)- サユリ
- 続・人間革命(1976年、東宝映像=シナノ企画)
テレビドラマ
[編集]- 人形佐七捕物帳 第8話(1971年、NET)
- 鬼平犯科帳 第2シリーズ 第25話「礼金二百両」(1972年、NET / 東宝) - もよ
- おらんだ左近事件帖 第21話(1972年、CX)
- 飛び出せ!青春 第19話(1972年、NTV) - ゆきこの妹
- 太陽にほえろ!(NTV)
- 第8話「真夜中の刑事たち」(1972年) - 通り魔の被害者
- 第47話「俺の拳銃をかえせ!」(1973年) - オーロラ商事のOL
- 泣くな青春 第4話「空白の遺書」(1972年、CX)
- マドモアゼル通り(1972年 - 1973年、YTV) - 片岡咲子
- 高校教師 第3話「家庭教師はお呼びじゃない」(1974年、12ch・東宝) - 岩城時子
- 雲のじゅうたん(1976年、NHK) - 井原高子
- 阪急ドラマシリーズ / 新・河原町東入ル(1977年、KTV) - みき
- 鳴門秘帖(1977年、NHK)
- 銀河テレビ小説(NHK)
- ぼくの姉さん(1978年) - 知子
- アヒル大合唱(1978年 - 1979年、TBS) - 町田圭子
- 大江戸捜査網 第418話「悪を撃つ謎のオランダ銃」(1979年、12ch・三船プロ) - おさと
- 草野球・草家族(1980年、ANB)
- 土曜ドラマ(NHK)
- わが青春のブルース(1981年) - 光子
- 熱中時代 教師編第2シリーズ「やさしさ紙芝居」(1981年、NTV・ユニオン映画) - 患者
- ザ・サスペンス / 猟人日記(1983年、TBS)
- 必殺シリーズ(ABC・松竹)
- 必殺橋掛人第5話「六本木の朝顔を探ります」(1985年) - お蔦
- 必殺仕事人V 第17話「加代 子守唄を歌う」(1985年) - お葉
- 必殺仕事人V・激闘編 第26話「主水、殺しに遅刻する」(1986年) - おたき
- 必殺仕切人 第16話「もしも討入りに雪が降らなかったら」」(1989年) - お高
- 大河ドラマ いのち 第45話 - 容子 (1986年)
- 月曜・女のサスペンス 事件の女たち「時効・あの時…南アルプス渓流殺人事件」(1988年、TX・エイジェント21)
- NHKドラマスペシャル『山頭火』(1989年)
- 水曜ドラマ マダム・りん子の事件帖(1991年、NHK) - 金子珠世