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山田川清太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田川 清太郎(やまだがわ せいたろう、1886年3月2日 - 1951年7月24日[1])は、現在の富山県高岡市出身で稲川部屋に所属した大相撲力士。本名は山田 清太郎。最高位は西前頭13枚目。168cm、92kg。

来歴

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1908年1月、幕下付出で初土俵。1911年6月新十両1912年5月場所、宇都宮新八郎と6勝1預かりと6戦全勝の土つかず同士で千秋楽に対戦、これに勝って7勝1預かりで十両優勝を果たす。翌1913年5月場所では宇都宮とともに新入幕となるが、直前の東西合併相撲で大坂相撲の力士2名に暴行され重傷を負ってしまう。このため新入幕場所は初日から休場、5日目から途中出場するも1勝2敗1預かりで9目から再休場。結局この1勝が幕内であげた唯一の白星になってしまう。その後十両を2場所つとめたが成績は振るわず1915年1月廃業。その後は妻の郷里の千葉県館山市で暮らした。

成績

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  • 幕内通算成績:1場所1勝2敗6休1預
  • 十両優勝1回

改名

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改名歴なし [2]

出典

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  1. ^ https://web.archive.org/web/20010115195300/http://www.fsinet.or.jp/~sumo/profile/1/19130501.htm
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709