山田文雄 (平安時代)
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時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・大和介 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 山田宿禰 |
山田 文雄(やまだ の ふみお)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。姓は宿禰。官位は従五位下・大和介。
経歴
[編集]仁明朝の承和9年(842年)に右大史の官職にあったが、来日した渤海使・賀福延らが滞在する鴻臚館へ派遣され、使節らに時服を与える役目を果たしている[1]。承和10年(843年)外従五位下・大和介に叙任される。承和15年(848年)勘解由次官として京官に復す。
嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位後に備後介に遷ると、斉衡3年(856年)に河内介と、文徳朝ではもっぱら地方官を務め、この間の仁寿4年(854年)に内位の従五位下に叙せられている。
清和朝の貞観5年(863年)散位頭に任ぜられて京官に復すが、貞観8年(866年)に大和介に再任されている。
官歴
[編集]『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 承和9年(842年) 4月1日:見右大史
- 承和10年(843年) 正月11日:外従五位下。正月12日:大和介
- 承和15年(848年) 5月28日:勘解由次官
- 嘉祥3年(850年) 6月19日:備後介
- 仁寿4年(854年) 正月7日:従五位下(内位)
- 斉衡3年(856年) 正月12日:河内介
- 貞観5年(863年) 3月19日:散位頭
- 時期不詳:散位
- 貞観8年(866年) 正月13日:大和介
脚注
[編集]- ^ 『続日本後紀』承和9年4月1日条