山田毅一
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山田 毅一(やまだ きいち、1887年(明治20年)1月21日[1] – 1953年(昭和28年)4月15日[2])は、衆議院議員(立憲民政党)、ジャーナリスト。
経歴
[編集]富山県東礪波郡福野町(現在の南砺市)出身[1]。早稲田大学・東京外国語学校に学んだ後、『東京日日新聞』・『やまと新聞』・『國民新聞』の記者を務めた[1]。その間、樺太・沿海州・南洋諸島・欧米諸国などを歴訪した[1]。その後、復興通信社を創業し、社長に就任した[2]。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第17回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。
その後、南進社、南方産業調査会を主宰し、南方政策を研究した[3]。
著書
[編集]- 『南洋行脚誌』(弘道館、1910年)
- 『北門行脚誌』(警眼社、1911年)
- 『能登半島』(上田書店、1913年)
- 『南進策と小笠原群島』(放天義塾、1916年)
- 『軍政と国民教育』(放天義塾、1917年)
- 『戦時及戦後の米国』(放天義塾、1918年)
- 『戦後の欧米漫遊記』(放天義塾、1919年)
- 『南洋大観』(平凡社、1934年)
- 『大南洋の全貌』(弘道館、1942年)
- 『近海の宝庫 都南七島』(国民時論社、1948年)
- 『観光瀬戸内海』(山田毅一君遺稿発刊有志会、1955年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。