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山田直矢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山田 直矢(やまだ なおや、1860年4月1日万延元年3月11日[1] - 1939年昭和14年)1月9日[2])は、明治から昭和初期にかけての日本鉱山学者、実業家大久保利世の孫、大久保利通の甥。

来歴

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薩摩藩士の山田有庸とスマ(大久保利世三女)の次男として鹿児島城下で生まれる。

1874年に上京し、伯父の大久保利通宅に寄宿。東京英語学校に入学する。1877年大学予備門1885年旧東京大学を卒業し、理学士を授与される。

1886年正八位となる。翌年依願免官後、ドイツへ留学。1889年の帰国後、大島高任の娘である大島ヒサと結婚。

1894年帝国大学工科教授に就任。1897年、三井鉱山(現・日本コークス工業)に入社し、同年5月に分家する。1899年に工学博士を授与される。三池炭鉱を担当し、1911年常務取締役となる。

1917年三州倶楽部副会長、1920年三州倶楽部第2代会長[3]

1939年死去。享年80歳。墓所は青山霊園

親族

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脚注

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  1. ^ 『山田直矢翁追悼録』(三州倶楽部、1940年)p.155
  2. ^ 『山田直矢翁追悼録』(三州倶楽部、1940年)p.158
  3. ^ 沿革 | 公益社団法人 三州倶楽部」『公益社団法人 三州倶楽部』。2018年10月15日閲覧。
  4. ^ a b c d e 山田直矢『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]