大島道太郎
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大島 道太郎(おおしま みちたろう、1860年8月4日(万延元年6月18日[1][2]) - 1921年(大正10年)10月5日[2])は、明治から大正時代の冶金学者。
経歴
[編集]盛岡藩士・大島高任の長男[1][2]。1870年(明治3年)大学南校に入り、1878年(明治11年)大学理学部に転じドイツへ自費留学する[1]。1881年(明治14年)3月、同国フライベルク鉱山学校(現フライベルク工科大学)を卒業し、冶金工師の学位を得て帰朝する[1]。1890年(明治23年)2月、宮内省御料局技師に任じ、1891年(明治24年)工学博士[1]。1896年(明治29年)農商務省製鉄所技監となり[1]、八幡製鉄所の創業に尽くした[2]。1899年(明治32年)6月、製鉄所技術長兼工務部長に進んだ[1]。この間、東北各地の鉱山開発に従事し、生野鉱山技師や大阪製煉所所長を歴任した[2]。1908年(明治41年)東京帝国大学教授となった[2]。
親族
[編集]- 父:大島高任(盛岡藩士、鉱山学者)[1][2]
- 妻・ふさ(1865-1947) - 佐賀県士族徳永贇の二女[3]、大隈重信養女[4]
- 長男・文郞(1889-1925) - 早世。妻は丹羽龍之助の娘[4]。娘婿に東大名誉教授の大島康次郎(旧姓・渡辺)[4]。
- 長女・君(1900年生) - 白鳥敏夫の妻[4]
- 姉・繁(1857-1940) - 及川古志郎、及川奥郎の母[4]
- 妹・久(1866-1962) - 大久保利通の甥山田直矢の妻[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年 。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。