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山路魁太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山路 魁太郎(やまじ かいたろう、明治5年10月17日 (旧暦)(1872年)[1] - 没年不詳)は、日本台湾関東州満洲の土木技術者

経歴

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福岡県士族山路圓の長男として[1]、福岡県糟屋郡箱崎町(現・福岡市東区箱崎)に生まれる[2]。1891年福岡県立尋常中学修猷館[3]、1894年7月第五高等学校工科[4]を経て、1899年3月東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業[5]

1899年7月兵庫県技師となる。1901年台湾台中県土木課長に転じ、同年11月台湾総督府技師を経て、日露戦争終結直後の1905年9月、関東州民政署技師となる。1906年9月、関東都督府が設置されると関東都督府民政部技師兼土木課長に就任[2]。ここで修猷館、五高、東大の後輩でもある倉塚良夫を推薦して参加させ、以後、山路と倉塚が中心となって、関東州の道路、上下水道の築造が推し進められた[6]。1911年欧米に派遣された[2]

1913年7月に依願免官し、翌月南満洲鉄道(満鉄)築港事務所長に就任[2]。1918年まで勤め、病気のため福岡に帰省し、次いで博多湾築港会社(福岡市港湾局の前身)専務に就任した[7]

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録第5版』(人事興信所、1918年) や-31,32頁
  2. ^ a b c d 竹中憲一『人名事典 「満州」に渡った一万人』(皓星社、2012年)1539頁
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員1頁
  4. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校編、1936年)176頁
  5. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名172頁
  6. ^ 『関東局施政三十年業績調査資料』(関東局文書課、1937年)571-572頁
  7. ^ アジ歴グロッサリー 植民地官僚経歴図 山路魁太郎」(国立公文書館アジア歴史資料センター)(2022年12月10日参照)