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山高親之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
山高 親之
時代 戦国時代
生誕 永正6年(1509年
死没 永禄9年6月18日1566年7月15日[1]
戒名 是快[1]
墓所 高龍寺(山梨県北杜市武川町山高)[1]
官位 石見守[2][1]
主君 武田信虎信玄
氏族 武田氏支流山高氏
父母 父:山高信之[1]
信親、蔦木氏の妻、孫兵衛、八左衛門、右近介[1]
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山高 親之(やまたか ちかゆき)は、戦国時代甲斐国武将武田氏の家臣。

概要

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山高氏は甲斐武田氏の庶流。甲斐国巨摩郡山高郷(現・山梨県北杜市武川町山高)を領した。親之は武川衆十二騎でも随一と称されたという[1]

武田信虎信玄の二代に仕え、後に信玄の弟・武田信繁配下となる。永禄4年(1561年)、第四次川中島の戦いに出陣するが、信繁はこの合戦で討死してしまう。そこで親之はその首級を敵より奪還し、信玄の下へ帰還した。信玄はこの武功を賞し、信繁の葬儀の奉行を親之に命じた[2][1]

永禄9年(1566年)、死去。父と同じく山高村の高龍寺に葬られた[1]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『寛政重修諸家譜』, p. 230.
  2. ^ a b 『信濃史料』, p. 408.

参考文献

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  • 信濃史料刊行会 編『信濃史料』 補遺巻上、信濃史料刊行会、1969年。 
  • 『新訂寛政重修諸家譜』 3巻、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0207-9