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武川村 (山梨県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
むかわむら
武川村
神代桜
廃止日 2004年11月1日
廃止理由 新設合併・市制施行
明野村大泉村須玉町高根町長坂町白州町武川村北杜市
現在の自治体 北杜市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 山梨県
北巨摩郡
市町村コード 19409-3
面積 60.78 km2
総人口 3,301
推計人口、2004年10月1日)
隣接自治体 韮崎市長坂町白州町南アルプス市
武川村役場
所在地 408-0302
山梨県北巨摩郡武川村牧原931番地
座標 北緯35度47分06秒 東経138度22分32秒 / 北緯35.78497度 東経138.37561度 / 35.78497; 138.37561 (武川村)座標: 北緯35度47分06秒 東経138度22分32秒 / 北緯35.78497度 東経138.37561度 / 35.78497; 138.37561 (武川村)
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武川村(むかわむら)は、かつて山梨県北巨摩郡にあった

2004年11月1日、北巨摩郡内の6町村と新設合併し、北杜市となった。現在は北杜市武川町となっている。

歴史

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古代の律令制下では真衣郷に比定され、平安時代には甲斐国三御牧のひとつに数えられたである真衣野牧が設置されており、朝廷へ貢馬を行った。三吹に所在する宮間田遺跡は真衣野牧に関連する集落遺跡であると考えられており、「牧」字の墨書土器が出土している。また、『吾妻鏡』の建久5年(1194年)条には鎌倉へ貢馬している「武川御牧」が見られる。

鎌倉時代末期には甲斐源氏一条時信の子孫が進出したと伝わり、後に甲信の国境警備を担った武川衆と呼ばれる地域武士団が盤踞した。武川衆は室町時代永享5年(1433年)には武田信長守護代跡部氏との戦いにも加わり、戦国時代には武田晴信(信玄)の弟である親族衆・武田信繁を寄親とした。武田氏の滅亡後には徳川氏に属し、相模国後北条氏と武田遺領を巡った天正壬午の乱でも徳川氏を助ける。

1959年(昭和34年)8月12日、台風第7号の接近に伴う豪雨により大武川が氾濫。3地区で家屋が流失した[1]

沿革

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観光

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教育

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特産品

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脚注

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  1. ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、137頁。ISBN 9784816922749 

関連項目

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