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岐阜市立厚見小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
岐阜市立厚見小学校
地図北緯35度23分51.3秒 東経136度46分16秒 / 北緯35.397583度 東経136.77111度 / 35.397583; 136.77111座標: 北緯35度23分51.3秒 東経136度46分16秒 / 北緯35.397583度 東経136.77111度 / 35.397583; 136.77111
過去の名称 厚見尋常小学校
厚見国民学校
厚見村立厚見小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 岐阜市
設立年月日 1872年12月22日
共学・別学 男女共学
学校コード B121220100307 ウィキデータを編集
所在地 500-8245
岐阜県岐阜市上川手198-5
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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岐阜市立厚見小学校(ぎふしりつ あつみしょうがっこう)は、岐阜県岐阜市にある公立小学校

概要

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沿革

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  • 1872年(明治5年)12月22日 - 領下村に日新舎が開校する。
  • 1876年(明治9年) -
    • 日新舎が日新義校に改称する。
    • 下川手村に将覚学校が開校する。
  • 1886年(明治19年) - 日新義校が日新簡易科小学校、将覚学校が川手尋常小学校に、それぞれ改称する。
  • 1897年(明治30年) -
  • 1898年(明治31年) - 日新小学校と川手尋常小学校が統合され、厚見小学校となる。
  • 1898年(明治31年) - 厚見小学校が分立し、日新尋常小学校と川手尋常小学校になる。
  • 1912年(明治45年) - 日新尋常小学校と川手尋常小学校が統合され、厚見尋常小学校となる。旧学校は分教室となる。
  • 1913年(大正2年) - 現在地に統合校舎が完成。分教室は領下分校、川手分校となり、低学年は各分校、高学年は統合校舎(本校)での授業となる。
  • 1920年(大正9年) - 領下分校、川手分校を廃止。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 厚見国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 厚見村立厚見小学校に改称する。校舎の一部が厚見村茜部村組合立厚茜中学校厚見教室となる。
  • 1952年(昭和27年) - 厚見村八剣村組合立厚八中学校の校舎が完成。厚八中学校厚見教室を廃止。
  • 1955年(昭和30年)2月11日 - 厚見村が岐阜市に編入される。同時に岐阜市立厚見小学校に改称する。
  • 1965年(昭和40年) - 校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。以降1966年~1973年の毎年、及び1980年に校舎の新築・増築を行う。
  • 2013年(平成25年) - 岐阜市立厚見中学校との厚見学園コミュニティ・スクールを設置する。
  • 2020年(令和2年)4月 - 厚見中学校との岐阜市型小中一貫校となる。
  • 2022年(令和4年)4月 - 石長町1-9丁目、木ノ下町1-8丁目、領下7丁目が厚見小学校校区から長森西小学校校区に移る[1]

交通アクセス

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通学区域

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  • 朝霧町、石切町、市ノ坪町1-5丁目、神楽町、上川手、光樹町、向陽町、下川手、正法寺町、島原町、城東通1-6丁目、畷町、西明見町、東明見町、宮北町、村里町、薬師町、矢倉町、八坂町、八島町、領下、若杉町、領下1~6丁目、細畑華南(一部)、西川手1-10丁目、東川手1-5丁目[2]
    • 西明見町の一部、矢倉町、八島町の児童は指定学校変更申立により加納小学校へ、市ノ坪町1-5丁目児童は指定学校変更申立により長森西小学校への変更が可能[3]

進学先中学校

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参考文献

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  • 厚見郷土史(上巻) (厚見郷土史編集委員会編 岐阜市厚見連合広報会 1987年発行) P.469 - 498
  • 岐阜市史 史料編 現代Ⅱ 第2巻 (岐阜市 2019年) P.75

脚注

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  1. ^ 小学校、中学校の通学区域(学校区)(令和3年10月4日更新)”. 岐阜市. 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ 岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則(岐阜市)
  3. ^ 岐阜市立小・中学校及び高等学校通学区域に関する規則の運用に関する内規(岐阜市教育委員会議決)

関連項目

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外部リンク

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