岡崎淳二
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県 |
生年月日 | 1972年6月20日(52歳) |
身長 体重 |
175 cm 62 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投右打 |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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岡崎 淳二(おかざき じゅんじ、1972年6月20日 - )は、元社会人野球選手(投手、左投げ右打ち)。
人物・来歴
[編集]- 愛媛県出身。川越商高(現・川越市立川越高)に入学、2年生の夏に甲子園に出場。夏の甲子園埼玉予選で2年連続完全試合(第71回対川本高校戦、第72回対行田高校戦)達成の記録を持つ。その後東洋大に進学。東洋大の1年先輩には関口伊織(日本通運→横浜ベイスターズ→大阪近鉄バファローズ)、恩田寿之(新日鐵君津・かずさマジック)がおり、同級生には銭場一浩(東芝)がいる。大学選手権の出場経験を持つ。4年時にはリーグ戦で5勝を挙げるが、プロからの誘いはなく、鷺宮製作所に入社。
- 左のスリークォーターから繰り出すボールはスピードこそないものの、切れ味の鋭い変化球でたちまち頭角を現し、入社1年目の1995年、チームを20年ぶりとなる都市対抗野球大会出場に導く原動力となった。
- 小柄ながらスタミナもあり、先発完投できるタイプであったが、年齢を重ねるごとに先発して6,7回で降板し、次の登板に備えることが多くなった。
- クイックモーションの達人であり、投球と牽制球の見極めが非常に難しい。
- 2005年の第76回都市対抗野球大会ではNTT東日本の補強選手としてNTT東日本の4強入りの原動力となったばかりでなく、第32回社会人野球日本選手権大会では自チームの同大会での初勝利に貢献、最終的には秋にも4強入りを経験することとなった。
- 2005年では都市対抗でNTT東日本の選手として、日本選手権では自チームの選手としていずれも日本生命戦で勝ち投手となっており、日本生命は岡崎を苦手としているのではないかと噂されたが、2006年の第33回日本選手権の1回戦では岡崎が立ち上がりからコントロールに苦しみ、日本生命打線の餌食となってしまった。
- 2011年シーズン限りで現役引退。2017年シーズンよりコーチとして野球部に復帰し、2020年シーズンより監督に就任した[1]。2022年シーズンをもって退任し、社業に専念する[2]。
主な表彰、タイトル
[編集]- 第32回社会人野球日本選手権大会優秀選手(投手部門) (2005年)
- 第78回都市対抗野球大会優秀選手(投手部門) (2007年)
脚注
[編集]- ^ “鷺宮製作所、岡崎コーチが監督昇格 目良監督は勇退”. スポーツニッポン (2019年12月4日). 2020年11月24日閲覧。
- ^ “鷺宮製作所の新監督に幡野一男氏 楽天2位の小孫らを育てた岡崎淳二監督は社業に専念”. スポーツニッポン. (2022年12月1日) 2022年12月1日閲覧。
関連項目
[編集]- 愛媛県出身の人物一覧
- 東洋大学の人物一覧
- 銭場一浩(東洋大野球部の同期)
- 櫻井淳子(高校の同級生)