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日本生命硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本生命硬式野球部
チーム名(通称) 日本生命、日生
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1929年
チーム名の遍歴

  • 日本生命 (1929 - )
本拠地自治体

練習グラウンド 日本生命貝塚グラウンド(大阪府貝塚市
チームカラー 赤色
監督 梶田茂生
都市対抗野球大会
出場回数 63回
最近の出場 2024年
最高成績 優勝(4回)
日本産業対抗野球大会
出場回数 18回
最近の出場 1973年
最高成績 優勝(1回)
社会人野球日本選手権大会
出場回数 39回
最近の出場 2023年
最高成績 優勝(3回)
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし

日本生命硬式野球部(にほんせいめいこうしきやきゅうぶ)は、大阪府大阪市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟する社会人野球の企業チームである。

運営母体は、生命保険会社日本生命保険。獲得した全国タイトルが、社会人野球チームの中でENEOS東芝住友金属に次ぐ史上第4位の計8回(都市対抗野球4回・日本選手権3回・産業対抗1回)を誇り、都市対抗野球には歴代チーム中最多の62回、日本選手権もパナソニックに次ぐ39回の出場を誇る。また、プロ野球選手や日本代表選手を多数輩出している西日本を代表する名門チームである。

概要

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歴史は古く、戦前1929年日本生命保険の硬式野球部として創部した。近年では社業に就く上での資格取得の関係上、選手の採用は原則として学卒であることを条件としているが、プロ入り前提で高卒の選手が加入することもある[1]

1949年都市対抗野球に初出場を果たした。

1961年4月20日、当チーム所属の柳川福三NPB中日ドラゴンズと契約し、プロ・アマ断絶のきっかけとなる柳川事件が起きた[2]

1974年日本選手権に初出場を果たした。

1985年都市対抗野球と、1990年日本選手権でそれぞれ初優勝を達成した。

2015年都市対抗野球で4度目の優勝を日本選手権で3度目の優勝を果たし、社会人野球史上3チーム目となる同一年での2大大会制覇となった[3][注釈 1]

2016年シーズン限りでこれまで練習場として使用していた大阪府吹田市にある日本生命千里山グラウンドが閉鎖され、2017年シーズンからは練習場を大阪府貝塚市ユニチカ貝塚工場跡地の一画に新設した日本生命貝塚グラウンドへ移して活動している[4][5]。なお、女子卓球部(後の日本生命レッドエルフ)も同じく移転した。

2018年都市対抗野球で予選敗退に終わり、連続出場が15で止まった。

設立・沿革

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主要大会の出場歴・最高成績

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主な出身プロ野球選手

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太字は現役選手(2023年シーズン現在)

元プロ野球選手の競技者登録

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かつて在籍した選手・コーチ・監督

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1988年東芝が、2012年JX-ENEOSが達成している。

出典

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  1. ^ 【ヤクルト】山田トリプル当確!「走れ」コールに楽々二盗成功”. スポーツ報知. 2015年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月7日閲覧。
  2. ^ 中日新聞社刊「中日ドラゴンズ70年史」64ページ
  3. ^ 日本生命 逆転サヨナラ2冠!都市対抗に続き栄冠、史上3チーム目”. スポニチ (2015年11月10日). 2017年4月22日閲覧。
  4. ^ コーポレートスポーツ拠点の移転について日本生命保険相互会社、2015年8月4日閲覧。
  5. ^ さよなら日生グラウンド OBら集う”. 毎日新聞 (2016年11月13日). 2017年4月22日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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