田島俊雄
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 滋賀県長浜市 |
生年月日 | 1965年10月1日(59歳) |
身長 体重 |
180 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1986年 ドラフト1位 |
初出場 |
NPB / 1987年4月11日 CPBL / 1997年3月9日 |
最終出場 |
NPB / 1987年10月16日 CPBL / 1999年5月23日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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田島 俊雄(たじま としお、本名:田島 敏雄(読み同じ)[注 1]、1965年10月1日[注 2] - )は、日本の滋賀県長浜市出身[注 3]の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]滋賀県立長浜北高等学校では3年春に第55回選抜高等学校野球大会に出場、夏は県大会決勝で順風秀一のいた比叡山高に敗れた。社会人野球の日本生命では都市対抗野球で初戦に先発したが2回途中で降板、以降は登板がなかったが優勝を経験[5]。1986年の日本選手権では初戦で河合楽器の水沢薫と投げ合うが5回途中で降板し、敗戦。
1986年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスより1位指名を受け入団[注 4]。入団1年目の1987年から先発ローテーションの一角を担うも、以降は右肩の故障のため一軍登板は無かった。1年目の4月には練習中にコーチに食って掛かり二軍落ちも経験した。また、球団名が福岡ダイエーホークスとなった1989年からは登録外になっていた[7]。1990年に登録名を田島 俊男へ変更[8]、2年目以降は二軍でも登板がなかった。
1991年から1992年まではロッテ・オリオンズ(2年目は千葉ロッテマリーンズ)に在籍。登録名を田島 敏雄に変更[9]。
1993年から1994年まではアメリカ合衆国(米国)に渡り、MLBロサンゼルス・ドジャース傘下のマイナーリーグ(1Aクラス)加盟チーム、サンバーナディーノでプレー[注 5]。
1995年、日本ハムファイターズへテスト入団し日本球界復帰[1]。同年の登録名はアメリカ時代の愛称[1]だったトニー田島[4][1]、1996年の登録名はトニー[4]。
1997年は台湾へ渡り、中華職棒(CPBL)の兄弟エレファンツに入団。登録名は東鈮。1999年のシーズン途中に、不振のため退団した。
1999年シーズン途中に再びアメリカへ渡り、独立リーグのニューアーク・ベアーズでプレーし、同年限りで現役引退。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1987 | 南海 | 30 | 8 | 2 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | -- | .300 | 375 | 85.2 | 83 | 14 | 38 | 3 | 1 | 77 | 2 | 0 | 47 | 38 | 3.99 | 1.41 |
1997 | 兄弟 | 20 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 6 | 1 | -- | .143 | 297 | 67.0 | 73 | 10 | 29 | 2 | 7 | 49 | 3 | 0 | 50 | 42 | 5.64 | 1.52 |
1998 | 29 | 20 | 2 | 0 | 0 | 8 | 12 | 0 | -- | .400 | 559 | 126.0 | 119 | 10 | 46 | 7 | 11 | 91 | 3 | 0 | 78 | 67 | 4.79 | 1.31 | |
1999 | 7 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 61 | 11.2 | 22 | 3 | 5 | 0 | 0 | 8 | 0 | 0 | 20 | 17 | 13.11 | 2.31 | |
NPB:1年 | 30 | 8 | 2 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | -- | .300 | 375 | 85.2 | 83 | 14 | 38 | 3 | 1 | 77 | 2 | 0 | 47 | 38 | 3.99 | 1.41 | |
CPBL:3年 | 56 | 30 | 2 | 0 | 0 | 9 | 20 | 1 | -- | .310 | 917 | 204.2 | 234 | 23 | 80 | 9 | 18 | 148 | 6 | 0 | 148 | 126 | 5.54 | 1.53 |
記録
[編集]- NPB
- 初登板:1987年4月11日、対阪急ブレーブス戦(西宮球場)、8回から5番手で救援登板、1回無失点[注 6]
- 初完投・初勝利:1987年5月30日、対日本ハムファイターズ戦(大阪スタヂアム)被安打6奪三振4四死球1
背番号
[編集]- 26 (1987年 - 1989年)[10][7]
- 67 (1990年)[8][7]
- 58 (1991年)[9][11]
- 42 (1992年)[9][11]
- 69 (1995年 - 1996年)[12]
- 18 (1997年)
- 24 (1998年 - 1999年)
登録名
[編集]- 田島 俊雄 (たじま としお、1987年 - 1989年)[10][4][注 7]
- 田島 俊男 (たじま としお、1990年)[8][4][7][注 8]
- 田島 敏雄 (たじま としお、1991年 - 1992年)[9][4][11][注 9]
- トニー田島 (とにーたじま、1995年)[4][注 10][注 11]
- トニー (とにー、1996年)[3][4][12][注 12]
- 東鈮 (1997年 - 1999年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 参考:
- ^ 生年月日は次の資料を[4]参照。
- ^ 滋賀県出身とする情報は次を[4]、同長浜市出身とする情報は次を[2]、それぞれ参照。
- ^ 次の資料より、ドラフト指名時点での人名について「田嶋 俊雄」という表記あり[6]。
- ^ 日本ハム在籍当時の名鑑にも、経歴内に「1Aサンバナディーノ」[1]や「サンバナディーノ」[2]という記載あり。引退後の資料では、経歴内に「米マイナー」[4]とするものが見られる。
- ^ NPB一軍公式戦初出場の年月日・対戦相手・球場については、次の資料を[1]参照。
- ^ 1988年から1989年まで「田嶋俊雄」と表記する資料[7]もある。次の資料でも「田嶋俊雄」と表記(時期については明記せず)[6]。
- ^ 次の資料でも「田島俊男」と表記(時期については明記せず)[6]。
- ^ 次の資料でも「田島敏雄」と表記(時期については明記せず)[6]。
- ^ 「トニー田嶋」と表記する資料[12]もある。
- ^ 次の資料でも「トニー田島」と表記(時期については明記せず)[6]。
- ^ 一部資料では「トニ」と誤記(時期については明記せず)[6]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 『週刊ベースボール』1995年2月27日号「95プロ野球全選手名鑑号」(第50巻・第8号、通算2101号。ベースボール・マガジン社発行)に掲載された、「トニー田島」のプロフィールより(『日本プロ野球80年史 1934-2014』 初回生産分セットに同梱された同名鑑号の復刻版にも掲載)。
- ^ a b c 『'96プロ野球12球団全選手百科名鑑』(『ホームラン』1996年3月号増刊。同31日、日本スポーツ出版社発行)P163に掲載された、「トニー」のプロフィールより。
- ^ a b イチローに始まる、登録名「名前」だけの系譜。楽天の哲朗は成功するか? - 『ベースボールチャンネル』2016年1月6日付記事 ※1996年のトニーへの登録名変更について、本名とともに記載あり。
- ^ a b c d e f g h i j 『日本プロ野球歴代全選手写真名鑑』(『B.B.MOOK』1144。2015年4月15日発売、ベースボール・マガジン社発行。コード:ISBN 978-4583622217)P125掲載「田島俊雄」
- ^ '95スポニチプロ野球手帳 スポーツニッポン新聞社
- ^ a b c d e f 『プロ野球ドラフト全史 2002年最新版』(『B.B.MOOK』第243号、『スポーツ・スピリット21』シリーズ第9号。2003年1月15日、ベースボール・マガジン社発行 ISBN 978-4583612102)に掲載された、日本プロ野球ドラフト会議歴代全指名選手データベースを参照。「田嶋 俊雄」(たじま としお)の名前で記載(改名欄には「田島俊男」「田島敏雄」「トニー田島」「トニ」の表記あり)。P97掲載の1986年度ドラフト会議指名選手一覧にも「田嶋俊雄」と表記。
- ^ a b c d e 『日本プロ野球80年史 1934-2014』記録編に収録された、南海→近畿日本→近畿グレートリング→南海ホークス→福岡ダイエーホークス→福岡ソフトバンクホークスの年度別メンバー表を参照。
- ^ a b c 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト内背番号の変遷(No.61 - 80)より、1990年当時の67番として「田島 俊男」の名が明記(名前の後に「[改名]」の記述もあり)。 ※「」内記述は、引用。
- ^ a b c d 歴代所属選手一覧(1990年 - 1994年) - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト(インターネットアーカイブ2008年2月8日付保存キャッシュ)より。 1991年・1992年の投手を参照。
- ^ a b 福岡ソフトバンクホークス オフィシャルサイト内背番号の変遷(No.21 - 40)より、1989年(福岡ダイエーホークス初年)当時の26番として「田島 俊雄」の名が明記。
- ^ a b c 『日本プロ野球80年史 1934-2014』記録編に収録された、毎日オリオンズ→大毎オリオンズ→東京オリオンズ→ロッテ・オリオンズ→千葉ロッテマリーンズの年度別メンバー表を参照。
- ^ a b c 『日本プロ野球80年史 1934-2014』記録編に収録された、セネタース→東急フライヤーズ→急映フライヤーズ→東急フライヤーズ→東映フライヤーズ→日拓ホームフライヤーズ→日本ハムファイターズ→北海道日本ハムファイターズの年度別メンバー表を参照。
参考資料
[編集]- 各種プロ野球名鑑
- 『日本プロ野球80年史 1934-2014』(2014年12月、ベースボール・マガジン社発行) ISBN 978-4-583-10668-7
- 付録DVD-ROM「記録編」
- 各種外部リンク
- 福岡ソフトバンクホークス(南海ホークス→福岡ダイエーホークスの後身) オフィシャルサイト
- 千葉ロッテマリーンズ(ロッテ・オリオンズの後身) オフィシャルサイト
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 トニー - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 選手の通算成績と情報 The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)