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中信兄弟

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
兄弟エレファンツから転送)
中信兄弟
CTBC Brothers
創設 1984年
所属リーグ
中華職業棒球大聯盟
歴代チーム名

本拠地

台中インターコンチネンタル野球場(2015 - )
収容人員 20,000人
中信兄弟の位置(台湾内)
中信兄弟

台中市(2015 - )
永久欠番
2367
獲得タイトル
(0回)
リーグ年間優勝(10回)
1992年・1993年・1994年・2001年・2002年・2003年・2010年・2021年・2022年・2024年
リーグ優勝(19回)
1992年前・1992年後・1993年前・1994年前・1994年後・2001年後・2002年前・2002年前・2003年後・2009年後・2010年後・2014年後・2015年後・2016年前・2019年後・2020年前・2021年前・2022年後・2024年後
成績(タイトル以外)
球団組織
オーナー 劉志威
運営母体 中國信託育樂株式会社
監督 平野恵一
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中信兄弟
各種表記
繁体字 中信兄弟
拼音 Zhōngxìn Xīongdì
注音符号 ㄓㄨㄥㄒ丨ㄣˋ ㄒㄩㄥ ㄉ|ˋ
英文 CTBC Brothers
テンプレートを表示

中信兄弟(ジョンシン・ションディー、ちゅうしんきょうだい、中国語:中信兄弟、英語:CTBC Brothers)は、台湾中華職業棒球大聯盟(CPBL)所属のプロ野球チームである。中信ブラザーズと呼称されることもある。チームカラーは黄色。

YouTube
チャンネル
活動期間 2013年6月3日 -
ジャンル 野球
登録者数 10.3万人
総再生回数 4913万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年2月13日時点。
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概要

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台湾地域を治める中華民国政府の事実上の首都である台北市を縁故地とした経験を持つ、中華職棒に初年度から加盟している老舗球団である。2度の三連覇は史上唯一である。しかし、2010年シーズン終了後10月26日に兄弟エレファンツの大部分の選手が八百長行為に関わった「黒象事件」が明るみに出る。その後当時の中込伸監督が球団に責任を問われ解任。(後日中込伸監督も関与が疑われ事情聴取を受けその後逮捕される) 兄弟エレファンツだけでなく、リーグ母体である中華職棒そのものが存亡の危機に立たされた。[1]また、現存する中華職棒4球団(前身含む)で唯一アジアシリーズの出場経験がないが、2010年にはアジアシリーズに代わるKBO王者と対戦する韓国・台湾クラブチャンピオンシップ(11月4日、5日、台中インターコンチネンタルスタジアム)への出場権を手にし、韓国のSKワイバーンズと対戦した。

2013年シーズン終了後、当時のオーナーであった兄弟大飯店は経営難から球団売却の方針を発表し、かつて中信ホエールズを経営していた中国信託商業銀行によりネーミングライツの形式で買収されることになった[2][3]。2014年1月5日、新球団名が「中信兄弟」となることが発表された[4] [5]。 

歴史

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  • 1984年9月1日 - 兄弟飯店棒球隊設立。
  • 1990年 - 中華職業棒球聯盟へ加盟し、兄弟エレファンツに改称。
  • 1992年 - 前後期優勝、初の年間王者。
  • 1994年 - 前後期優勝で史上初となる三連覇を達成。
  • 2003年 - 後期優勝、二度目の三連覇。
  • 2010年 - 後期優勝、七年ぶりとなる優勝。
  • 2014年 - 中信が買収し、中信兄弟(中信ブラザーズ)に改称。
  • 2021年 - チーム名改称後初の年間王者。
  • 2022年 - 二連覇達成。

チーム成績・記録

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  • リーグ優勝 19回

(1992年前・1992年後・1993年前・1994年前・1994年後・2001年後・2002年前・2002年前・2003年後・2009年後・2010年後・2014年後・2015年後・2016年前・2019年後・2020年前・2021年前・2022年後・2024年後)

  • 年間王者 10回

(1992年・1993年・1994年・2001年・2002年・2003年・2010年・2021年・2022年・2024年)

  • 年間最高勝率 .727(1994年)
  • 連続無得点 38イニング(2006年8月9日 - 8月16日)
  • 1試合6本塁打(2019年4月28日)
  • 台湾シリーズ 9連勝達成(2024年10月19日)

歴代監督

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永久欠番

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  • 23 彭政閔(2019年10月18日 - )
  • 67 曾紀恩(2005年3月25日 - 、2012年シーズン前に解消された後再制定)
初代監督

解消した永久欠番

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  • 4 林易増(2001年3月17日 - 2011年、その後は他の選手が使用している。)
  • 26 王光輝(2004年6月26日 - 2011年、その後は他の選手が使用している。)
  • 99 ファン(2006年1月1日 - 2012年、その後は他の選手が使用している。)

在籍選手

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首脳陣

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一軍

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背番号 名前 役職
10 平野恵一 監督
31 陳江和 ヘッド兼打撃コーチ
40 王建民 投手コーチ
5 ダニエル・カタラン 打撃コーチ
登録名「丹尼爾」
36 石志偉 内野守備コーチ
57 陳皓然 外野守備走塁コーチ
45 王峻杰 バッテリーコーチ
53 ニック・アディトン ブルペンコーチ
登録名「艾迪頓」
25 李尚儒 トレーニングコーチ
51 陳弘桂 トレーニングコーチ

二軍

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背番号 名前 役職
86 彭政閔 監督
76 林明憲 ヘッドコーチ
78 林恩宇 投手コーチ
95 鄭錡鴻 投手コーチ
87 許皓銘 打撃コーチ
6 タック・ウィルソン 打撃兼走塁コーチ
登録名「威爾森」
69 張志強 内野守備コーチ
27 黄稚峰 外野守備兼トレーニングコーチ補佐
77 陳智弘 バッテリーコーチ
8 郭峰駿 コーチ補佐
未定 陳偉漢 コーチ補佐
44 ジョン・フォスター リハビリ投手コーチ
登録名「佛斯特」
99 周磊 リハビリ投手コーチ
22 陳品翰 トレーニングコーチ補佐

投手

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背番号 選手名 備考
12 林暉盛
14 魏碩成
15 王凱程
18 カーク・マッカーティ 登録名「克迪」
19 鄭凱文
33 鄭浩均
34 李振昌
41 楊志龍
46 ホセ・デポーラ 登録名「德保拉」
49 余謙
50 蔡齊哲
54 王奕凱
55 ショーン・モリマンド 登録名「象魔力」
56 陳柏均
58 呂彦青
59 馮皓
62 陳琥
64 黄恩賜
70 徐基麟
71 盧孟揚
73 エンジェル・サンチェス 登録名「象騎士」
79 謝榮豪
80 ダニエル・メンデン 登録名「猛登」
81 陳冠穎 2024年ドラフト3位
83 伍立辰 2024年ドラフト2位
84 黄弘毅
91 張祖恩
93 呉哲源
94 呉俊偉
102 鄧朝駿 2024年ドラフト6位
103 林展樟 2024年ドラフト10位
104 游竣䒴 2024年ドラフト9位
105 朱宏樺 2024年ドラフト8位
107 劉亦智 2024年ドラフト5位
117 楊尊凱 新入団
自主培訓選手

捕手

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背番号 選手名 備考
0 林呉晉瑋
48 陳統恩
52 胡孟智
65 高宇杰
97 徐博瑋
109 陳九登 2024年ドラフト7位
114 魏廷安 新入団
自行培訓選手

内野手

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背番号 選手名 備考
3 楊祥禾
4 張士綸
9 王威晨
28 張仁瑋
29 陳俊秀
47 林志鋼
61 王政順
66 黄韋盛
68 馬鋼
74 許基宏
75 林瑞鈞
90 江坤宇
96 蘇緯達
98 岳東華
106 徐紹予 2024年ドラフト4位
108 黄霆杉 2024年ドラフト11位
116 黄冠倫 新入団
自主培訓選手

外野手

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背番号 選手名 備考
2 李聖裕
7 張志豪
13 許庭綸 2024年ドラフト1位
32 曾頌恩
39 詹子賢
43 林書逸
60 黄鈞麟
85 劉貴元
88 宋晟睿
92 岳政華
115 簡子寬 新入団
自主培訓選手

日本のプロ野球との関係

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日本の球団に在籍したことのある主な監督・コーチや選手
監督・コーチ
選手

その他在籍していた選手・コーチ

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監督・コーチ
選手

チアリーディングチーム

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脚注

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  1. ^ https://twbsball.dils.tku.edu.tw/wiki/index.php/%E9%BB%91%E8%B1%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
  2. ^ 羅友辰 (2013年10月19日). “兄弟エレファンツ、身売りへ 台湾プロ野球発足以来の名門球団”. 中央通訊社. 2015年2月9日閲覧。
  3. ^ 羅友辰 (2013年12月5日). “人気球団“買収”の金融大手、王貞治氏を顧問に招聘か/台湾”. 中央通訊社. 2015年2月9日閲覧。
  4. ^ 兄弟象隊 正式更名為「中信兄弟」隊”. Brother Elephants 公式サイト (2014年1月5日). 2014年4月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月18日閲覧。
  5. ^ BRIEF HISTORY OF CPBL”. 2014年12月19日閲覧。

注釈

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  1. ^ 2004年に榊原良行が3試合代理監督を務めた。
  2. ^ スナイダーの健康上の問題により1試合代理監督を務めた。
  3. ^ 9月18日に米国で発生した森林火災によりスナイダーが帰国したため、代理監督をシーズン終了まで務めた。

外部リンク

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