白坂勝史
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市栄区 |
生年月日 | 1975年7月12日(49歳) |
身長 体重 |
180 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1997年 ドラフト7位 |
初出場 | CPBL/1999年7月8日 |
最終出場 | CPBL/1999年10月16日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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派遣歴 | |
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この表について
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白坂 勝史(しらさか かつし、1975年7月12日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
[編集]横浜高校時代の1993年、投手として第65回選抜高等学校野球大会に出場するも完投しながら2回戦で延長サヨナラ負け[1]。この時は同期・高橋光信とバッテリーを組んだ。高校では1学年先輩に丹波幹雄・部坂俊之・中野栄一が、1学年後輩に多村仁志・斉藤宜之・矢野英司・紀田彰一が、2学年後輩に横山道哉がいた。
その後、関東学院大学に進学。 1997年の4年春、春の大学選手権の初戦12奪三振の完封でベスト4。秋は1試合19奪三振の神奈川大学野球リーグ記録を樹立し、最優秀選手とベストナイン受賞。続く秋の明治神宮大会では、4年前田浩継投手擁する九州共立大学戦で全員から毎回16奪三振も惜敗[1]。この活躍から、巨人が一時は3位で指名を検討していたという。1997年のドラフト7位で中日ドラゴンズに入団。入団発表時には「最多勝を狙いたい」と豪語したほか、仮契約の席では「7位で獲っていただいたんですけど、あとでそんな選手じゃなかったと思われるような活躍をしたい」と語っていた。
1999年には台湾への野球留学を経験し兄弟エレファンツで10試合に登板、2勝3敗防御率6.49という成績を残す。
2000年は中日に復帰。しかし結局1度も一軍で登板する事が無いまま同オフに戦力外通告を受ける。
2004年度第1回国際野球親善大会ニューカレドニア・カップに日本代表として出場。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1999 | 兄弟 | 10 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 131 | 26.1 | 30 | 1 | 27 | 0 | 0 | 20 | 4 | 0 | 22 | 19 | 6.49 | 2.16 |
CPBL:1年 | 10 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 131 | 26.1 | 30 | 1 | 27 | 0 | 0 | 20 | 5 | 0 | 22 | 19 | 6.49 | 2.16 |
背番号
[編集]- 64(1998年 - 1999年途中、2000年)
- 20(1999途中 - 同年終了)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、CPBL