コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

白坂勝史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
白坂 勝史
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県横浜市栄区
生年月日 (1975-07-12) 1975年7月12日(49歳)
身長
体重
180 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1997年 ドラフト7位
初出場 CPBL/1999年7月8日
最終出場 CPBL/1999年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴

白坂 勝史(しらさか かつし、1975年7月12日 - )は、神奈川県出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

[編集]

横浜高校時代の1993年、投手として第65回選抜高等学校野球大会に出場するも完投しながら2回戦で延長サヨナラ負け[1]。この時は同期・高橋光信とバッテリーを組んだ。高校では1学年先輩に丹波幹雄部坂俊之中野栄一が、1学年後輩に多村仁志斉藤宜之矢野英司紀田彰一が、2学年後輩に横山道哉がいた。

その後、関東学院大学に進学。 1997年の4年春、春の大学選手権の初戦12奪三振の完封でベスト4。秋は1試合19奪三振の神奈川大学野球リーグ記録を樹立し、最優秀選手とベストナイン受賞。続く秋の明治神宮大会では、4年前田浩継投手擁する九州共立大学戦で全員から毎回16奪三振も惜敗[1]。この活躍から、巨人が一時は3位で指名を検討していたという。1997年のドラフト7位で中日ドラゴンズに入団。入団発表時には「最多勝を狙いたい」と豪語したほか、仮契約の席では「7位で獲っていただいたんですけど、あとでそんな選手じゃなかったと思われるような活躍をしたい」と語っていた。

1999年には台湾への野球留学を経験し兄弟エレファンツで10試合に登板、2勝3敗防御率6.49という成績を残す。

2000年は中日に復帰。しかし結局1度も一軍で登板する事が無いまま同オフに戦力外通告を受ける。

中日退団後は、アメリカ独立リーグのチームなどに所属。

2004年度第1回国際野球親善大会ニューカレドニア・カップに日本代表として出場。

詳細情報

[編集]

年度別投手成績

[編集]




















































W
H
I
P
1999 兄弟 10 6 0 0 0 2 3 0 -- .400 131 26.1 30 1 27 0 0 20 4 0 22 19 6.49 2.16
CPBL:1年 10 6 0 0 0 2 3 0 -- .400 131 26.1 30 1 27 0 0 20 5 0 22 19 6.49 2.16

背番号

[編集]
  • 64(1998年 - 1999年途中、2000年)
  • 20(1999途中 - 同年終了)

脚注

[編集]
  1. ^ a b 1998プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]