オーランド・ロマン
味全ドラゴンズ 投手コーチ | |
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東京ヤクルトスワローズ時代 (2012年3月13日) | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | プエルトリコ自治連邦区バヤモン |
生年月日 | 1978年11月28日(46歳) |
身長 体重 |
183 cm 109 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト31巡目(全体946位)でニューヨーク・メッツから指名 |
初出場 |
CPBL / 2010年3月24日 NPB / 2012年4月7日 |
最終出場 |
NPB / 2015年10月2日 CPBL / 2017年9月21日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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指導歴 | |
国際大会 | |
代表チーム | プエルトリコ |
WBC | 2006年、2009年、2013年、2017年 |
プレミア12 | 2019年 |
この表について
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獲得メダル | ||
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プエルトリコ | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
銀 | 2013 | 野球 |
銀 | 2017 | 野球 |
オーランド・ブルーノ・ロマン(Orlando Bruno Román、1978年11月28日 - )は、プエルトリコ自治連邦区バヤモン出身の元プロ野球選手(投手)。
経歴
[編集]マイナー時代
[編集]1999年のMLBドラフト31巡目でニューヨーク・メッツに入団。しかし、メジャーに昇格することはなく、マイナー球団を転々としていた。
2006年開幕前の3月に開催された第1回WBCのプエルトリコ代表に選出された。
2007年には、台湾プロ野球の中信ホエールズの入団テストを受験したが、入団に至らなかった。
2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCのプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。
第一次兄弟エレファンツ時代
[編集]2010年は中華職業棒球大聯盟の兄弟エレファンツに入団。登録名は「羅曼」。4月16日の興農ブルズ戦で9回無失点と好投し、来台初勝利・初完封を飾った。同年は、リーグ最多の193イニングを投げ最多奪三振のタイトルを獲得した。
2011年は2年連続でリーグ最多の投球回を投げ、最多奪三振・最多勝のタイトルを獲得した。しかし同時に、リーグワーストとなる185安打を打たれた。
ヤクルト時代
[編集]2012年1月13日に東京ヤクルトスワローズと1年契約を結んだ[1]。4月22日の読売ジャイアンツ戦で来日初勝利を挙げる[2]。この年は先発ローテーションの一角として9勝をマーク。
2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCプエルトリコ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした[3]。シーズンでは最初は先発としてスタートするも、リリーフ陣の相次ぐ離脱、不調により中継ぎに回った。交流戦終盤からは先発に戻ったが安定感を欠く投球が続き、さらに外国人枠の関係もあって登板の機会が中々得られなかった。8月からは再び中継ぎとして、ロングリリーフから接戦時まで多様な起用に応えた。先発では防御率7点台と結果を残せなかったが、中継ぎでは23試合で防御率1.16と安定した投球を見せ残留を勝ち取る。
2014年はクリス・ナーブソン、クリス・カーペンターの加入もあり、外国人枠の関係で二軍スタートとなった。4月12日に投手陣の補強のため、打撃不振のラスティングス・ミレッジに変わって一軍に昇格。トニー・バーネットの不在、前年終盤に抑えを務めた石山泰稚の不調を受けクローザーを任される。しかし、5月28日に右腕の変形性肘関節症と診断され全治不明の離脱となった。この年限りでの退団が濃厚と見られていたが、投球内容は良かったこともあり、球団は翌年の復活に懸け再契約した。
2015年はセットアッパーを中心に、谷間での先発も行うフル回転の活躍を果たした。後半戦以降は疲れも見せたが、10月2日の阪神戦では2イニングを無失点に抑え、優勝を決めた試合の勝利投手となった。今季は秋吉亮やローガン・オンドルセクらと共に抑えのトニー・バーネットへ繋ぐセットアッパーを担い、「14ROB」の愛称が付く活躍でチームをリーグ優勝に導いた。オフには第1回WBSCプレミア12のプエルトリコ代表に選出されたが辞退している[4]。ヤクルトとの契約延長はなく、12月に自由契約公示された[5]。
Lamigoモンキーズ時代
[編集]2016年2月11日にLamigoモンキーズと契約し、2011年以来となる台湾プロ野球復帰となった。8月には3勝0敗・防御率1.80で月間MVPに輝いた。しかしシーズン終了後に戦力外となった。
第二次中信兄弟時代
[編集]2017年2月8日に第4回WBCのプエルトリコ代表に選出され、4大会連続4度目の選出となった[6]。3月22日の決勝アメリカ合衆国戦に敗戦し、2大会連続で準優勝となった[7]。
2017年3月30日、古巣である中信兄弟と契約した。9月1日の統一ライオンズ戦では初と来台初となる二桁奪三振を奪った。9月25日に故郷のプエルトリコを襲ったハリケーンにより州全体が停電し、家族と連絡が取れなくなったため母国へ戻り今年でチームを去る事となった。
中信兄弟退団後
[編集]2018年は所属球団なく、オフにプエルトリコのウィンターリーグでプレー[8]。
2019年11月には第2回WBSCプレミア12にプエルトリコ代表として出場[9]。大会終了後、現役を引退[10]。
引退後
[編集]2022年6月25日、富邦ガーディアンズの投手コーチに就任し[11]、指導者として5年振りに台湾球界へ復帰した。2023年限りで退任した。
2024年12月30日、味全ドラゴンズの投手コーチに就任した[12]。
選手としての特徴
[編集]ストレートの最速156km/h、平均球速は約141km/h(2012年)。
人物
[編集]ヤクルトでチームメイトであった石川雅規はロマンの人柄について「(ロマンは)一緒にプレーした外国人の中で一番性格が良い」と語っている[13]。
同じプエルトリコ出身のディッキー・ゴンザレスとは幼馴染であり、幼少期は実家が近所であった[14]。
楽曲のサルサが好きであり、日本人サルサ楽団であるオルケスタ・デ・ラ・ルスが登場曲として「頑張れロマン」を提供した[15]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2010 | 兄弟 | 32 | 24 | 6 | 2 | 0 | 12 | 7 | 0 | 2 | .632 | 807 | 193.0 | 161 | 6 | 68 | 2 | 18 | 142 | 16 | 0 | 73 | 65 | 3.03 | 1.19 |
2011 | 33 | 26 | 4 | 2 | 0 | 16 | 6 | 0 | 3 | .727 | 840 | 203.2 | 185 | 11 | 60 | 1 | 8 | 161 | 14 | 0 | 83 | 76 | 3.36 | 1.21 | |
2012 | ヤクルト | 26 | 26 | 3 | 2 | 0 | 9 | 11 | 0 | 0 | .450 | 703 | 165.2 | 152 | 8 | 69 | 3 | 6 | 96 | 8 | 3 | 59 | 56 | 3.04 | 1.33 |
2013 | 30 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 1 | 4 | .333 | 290 | 63.2 | 68 | 4 | 27 | 2 | 7 | 44 | 1 | 0 | 35 | 30 | 4.24 | 1.49 | |
2014 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 1.000 | 65 | 16.0 | 11 | 0 | 7 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0.56 | 1.13 | |
2015 | 61 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | 23 | .500 | 330 | 78.2 | 66 | 2 | 35 | 2 | 3 | 58 | 2 | 0 | 25 | 21 | 2.40 | 1.29 | |
2016 | Lamigo | 34 | 25 | 0 | 0 | 0 | 12 | 7 | 0 | 2 | .632 | 701 | 157.0 | 167 | 19 | 58 | 1 | 9 | 154 | 9 | 0 | 97 | 81 | 4.64 | 1.43 |
2017 | 兄弟 | 23 | 22 | 1 | 1 | 0 | 4 | 8 | 0 | 1 | .333 | 588 | 137.1 | 156 | 9 | 43 | 4 | 5 | 107 | 7 | 0 | 77 | 68 | 4.46 | 1.45 |
CPBL:4年 | 122 | 97 | 11 | 5 | 0 | 44 | 28 | 0 | 8 | .611 | 2936 | 691.0 | 669 | 45 | 229 | 8 | 40 | 564 | 46 | 0 | 330 | 290 | 3.78 | 1.30 | |
NPB:4年 | 133 | 36 | 3 | 2 | 0 | 18 | 22 | 6 | 27 | .450 | 1388 | 324.0 | 297 | 14 | 138 | 7 | 17 | 207 | 12 | 3 | 121 | 108 | 3.00 | 1.34 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
[編集]- CPBL
表彰
[編集]- CPBL
記録
[編集]- NPB投手記録
- 初登板・初先発:2012年4月6日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤドーム)、6回1/3を1失点6奪三振で敗戦投手
- 初奪三振:同上、2回裏に平田良介から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2012年4月22日、対読売ジャイアンツ6回戦(明治神宮野球場)、5回1/3を2失点
- 初完投勝利:2012年7月27日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤドーム)、9回2失点
- 初完封勝利:2012年8月2日、対阪神タイガース13回戦(阪神甲子園球場)、7奪三振
- 初ホールド:2013年5月1日、対横浜DeNAベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、5回裏に2番手で救援登板、2回無失点
- 初セーブ:2013年5月18日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(明治神宮野球場)、9回表2死に5番手で救援登板・完了、1/3回を無失点
- NPB打撃記録
- 初安打:2012年5月5日、対広島東洋カープ7回戦(明治神宮野球場)、4回裏に野村祐輔から中前安打
- 初打点:2012年5月19日、対オリックス・バファローズ1回戦(明治神宮野球場)、2回裏に木佐貫洋から左前適時打
- その他の記録
- NPB
- 1イニング3暴投:2012年7月16日、対横浜DeNAベイスターズ11回戦(横浜スタジアム)、5回裏に記録 ※史上11人目(日本タイ記録)
- CPBL
- オールスターゲーム出場:2回(2011年、2016年)
背番号
[編集]- 34 (2010年 - 2011年、2016年)
- 53 (2012年 - 2015年)
- 78 (2017年)
- 41 (2022年 - 2023年)
代表歴
[編集]- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表
脚注
[編集]- ^ “オーランド・ロマン投手と契約”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2012年1月13日). 2012年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月31日閲覧。
- ^ “ロマン来日初勝利!ミレッジ勝ち越し打…外国人の活躍で勝利”. スポニチ Sponichi Annex (2012年4月22日). 2012年7月10日閲覧。
- ^ 第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)出場選手について 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
- ^ 燕・ロマン、『プレミア12』の代表辞退「自分の仕事の方が大事」 SANSPO.COM (2015年11月2日) 2015年11月27日閲覧
- ^ “各球団発表、2015年オフの戦力外、引退、補強、移籍一覧”. Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―. 2020年5月30日閲覧。
- ^ Young stars join Beltran, Yadi for Puerto Rico MLB.com (2017年2月8日) 2017年3月16日閲覧
- ^ American Beauty: USA dominates PR in final World Baseball Classic (2017年3月22日) 2017年3月23日閲覧
- ^ “元ヤクルトのロマンが「最後の」ウインターリーグ参戦。20年の現役生活にピリオドへ(菊田康彦) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年5月30日閲覧。
- ^ “元ヤクルトのロマン、今秋のプレミア12出場へ! 来年の東京五輪にも意欲(菊田康彦) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年5月30日閲覧。
- ^ “元ヤクルトのロマンが正式に現役を引退。五輪予選に参加せず、指導者の道へ(菊田康彦) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年5月30日閲覧。
- ^ “富邦悍將補強教練團 外籍投手教練羅曼抵台” (中国語). 富邦ガーディアンズ 公式ウェブサイト. 2022年6月25日閲覧。
- ^ “味全龍重視運科 羅曼重返中職當投手教練” (中国語). ETToday. 2024年12月30日閲覧。
- ^ 康彦, 菊田 (2021年2月4日). “(2ページ目)バーネット、ロマン、マクガフ……スワローズ”ナイスガイ外国人選手”の系譜”. 文春オンライン. 2024年12月24日閲覧。
- ^ “幼なじみは巨人の助っ人…ヤクルト・ロマン来日”. スポニチ Sponichi Annex (2012年1月28日). 2012年1月31日閲覧。
- ^ “サルサ好きロマン 中南米で大人気のバンドが登場曲提供”. スポニチ Sponichi Annex (2012年7月10日). 2012年7月10日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
- Orlando Roman stats MiLB.com
- 選手の各国通算成績 CPBL
- 個人年度別成績 O.ロマン - NPB.jp 日本野球機構
- 中華職業棒球大聯盟(羅曼)
- Orlando Roman (@oryec34) - X(旧Twitter)
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