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オーランド・ロマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オーランド・ロマン
Orlando Roman
味全ドラゴンズ 投手コーチ
東京ヤクルトスワローズ時代
(2012年3月13日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区バヤモン
生年月日 (1978-11-28) 1978年11月28日(46歳)
身長
体重
183 cm
109 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト31巡目(全体946位)でニューヨーク・メッツから指名
初出場 CPBL / 2010年3月24日
NPB / 2012年4月7日
最終出場 NPB / 2015年10月2日
CPBL / 2017年9月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
指導歴
国際大会
代表チーム プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年2009年2013年2017年
プレミア12 2019年
獲得メダル
プエルトリコの旗 プエルトリコ
ワールド・ベースボール・クラシック
2013 野球
2017 野球

オーランド・ブルーノ・ロマンOrlando Bruno Román1978年11月28日 - )は、プエルトリコ自治連邦区バヤモン出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

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マイナー時代

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1999年MLBドラフト31巡目でニューヨーク・メッツに入団。しかし、メジャーに昇格することはなく、マイナー球団を転々としていた。

2006年開幕前の3月に開催された第1回WBCプエルトリコ代表に選出された。

2007年には、台湾プロ野球中信ホエールズの入団テストを受験したが、入団に至らなかった。

2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。

第一次兄弟エレファンツ時代

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2010年中華職業棒球大聯盟兄弟エレファンツに入団。登録名は「羅曼」。4月16日の興農ブルズ戦で9回無失点と好投し、来台初勝利・初完封を飾った。同年は、リーグ最多の193イニングを投げ最多奪三振のタイトルを獲得した。

2011年は2年連続でリーグ最多の投球回を投げ、最多奪三振・最多勝のタイトルを獲得した。しかし同時に、リーグワーストとなる185安打を打たれた。

ヤクルト時代

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2012年1月13日に東京ヤクルトスワローズと1年契約を結んだ[1]。4月22日の読売ジャイアンツ戦で来日初勝利を挙げる[2]。この年は先発ローテーションの一角として9勝をマーク。

2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCプエルトリコ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした[3]。シーズンでは最初は先発としてスタートするも、リリーフ陣の相次ぐ離脱、不調により中継ぎに回った。交流戦終盤からは先発に戻ったが安定感を欠く投球が続き、さらに外国人枠の関係もあって登板の機会が中々得られなかった。8月からは再び中継ぎとして、ロングリリーフから接戦時まで多様な起用に応えた。先発では防御率7点台と結果を残せなかったが、中継ぎでは23試合で防御率1.16と安定した投球を見せ残留を勝ち取る。

2014年クリス・ナーブソンクリス・カーペンターの加入もあり、外国人枠の関係で二軍スタートとなった。4月12日に投手陣の補強のため、打撃不振のラスティングス・ミレッジに変わって一軍に昇格。トニー・バーネットの不在、前年終盤に抑えを務めた石山泰稚の不調を受けクローザーを任される。しかし、5月28日に右腕の変形性肘関節症と診断され全治不明の離脱となった。この年限りでの退団が濃厚と見られていたが、投球内容は良かったこともあり、球団は翌年の復活に懸け再契約した。

2015年はセットアッパーを中心に、谷間での先発も行うフル回転の活躍を果たした。後半戦以降は疲れも見せたが、10月2日の阪神戦では2イニングを無失点に抑え、優勝を決めた試合の勝利投手となった。今季は秋吉亮ローガン・オンドルセクらと共に抑えのトニー・バーネットへ繋ぐセットアッパーを担い、「14ROB」の愛称が付く活躍でチームをリーグ優勝に導いた。オフには第1回WBSCプレミア12のプエルトリコ代表に選出されたが辞退している[4]。ヤクルトとの契約延長はなく、12月に自由契約公示された[5]

Lamigoモンキーズ時代

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2016年2月11日にLamigoモンキーズと契約し、2011年以来となる台湾プロ野球復帰となった。8月には3勝0敗・防御率1.80で月間MVPに輝いた。しかしシーズン終了後に戦力外となった。

第二次中信兄弟時代

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2017年2月8日第4回WBCプエルトリコ代表に選出され、4大会連続4度目の選出となった[6]3月22日の決勝アメリカ合衆国戦に敗戦し、2大会連続で準優勝となった[7]

2017年3月30日、古巣である中信兄弟と契約した。9月1日の統一ライオンズ戦では初と来台初となる二桁奪三振を奪った。9月25日に故郷のプエルトリコを襲ったハリケーンにより州全体が停電し、家族と連絡が取れなくなったため母国へ戻り今年でチームを去る事となった。

中信兄弟退団後

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2018年は所属球団なく、オフにプエルトリコのウィンターリーグでプレー[8]

2019年11月には第2回WBSCプレミア12にプエルトリコ代表として出場[9]。大会終了後、現役を引退[10]

引退後

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2022年6月25日富邦ガーディアンズの投手コーチに就任し[11]、指導者として5年振りに台湾球界へ復帰した。2023年限りで退任した。

2024年12月30日、味全ドラゴンズの投手コーチに就任した[12]

選手としての特徴

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ストレートの最速156km/h、平均球速は約141km/h(2012年)。

人物

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ヤクルトでチームメイトであった石川雅規はロマンの人柄について「(ロマンは)一緒にプレーした外国人の中で一番性格が良い」と語っている[13]

同じプエルトリコ出身のディッキー・ゴンザレスとは幼馴染であり、幼少期は実家が近所であった[14]

楽曲のサルサが好きであり、日本人サルサ楽団であるオルケスタ・デ・ラ・ルスが登場曲として「頑張れロマン」を提供した[15]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2010 兄弟 32 24 6 2 0 12 7 0 2 .632 807 193.0 161 6 68 2 18 142 16 0 73 65 3.03 1.19
2011 33 26 4 2 0 16 6 0 3 .727 840 203.2 185 11 60 1 8 161 14 0 83 76 3.36 1.21
2012 ヤクルト 26 26 3 2 0 9 11 0 0 .450 703 165.2 152 8 69 3 6 96 8 3 59 56 3.04 1.33
2013 30 7 0 0 0 3 6 1 4 .333 290 63.2 68 4 27 2 7 44 1 0 35 30 4.24 1.49
2014 16 0 0 0 0 1 0 5 0 1.000 65 16.0 11 0 7 0 1 9 1 0 2 1 0.56 1.13
2015 61 3 0 0 0 5 5 0 23 .500 330 78.2 66 2 35 2 3 58 2 0 25 21 2.40 1.29
2016 Lamigo 34 25 0 0 0 12 7 0 2 .632 701 157.0 167 19 58 1 9 154 9 0 97 81 4.64 1.43
2017 兄弟 23 22 1 1 0 4 8 0 1 .333 588 137.1 156 9 43 4 5 107 7 0 77 68 4.46 1.45
CPBL:4年 122 97 11 5 0 44 28 0 8 .611 2936 691.0 669 45 229 8 40 564 46 0 330 290 3.78 1.30
NPB:4年 133 36 3 2 0 18 22 6 27 .450 1388 324.0 297 14 138 7 17 207 12 3 121 108 3.00 1.34
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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CPBL

表彰

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CPBL

記録

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NPB投手記録
NPB打撃記録
その他の記録
NPB
  • 1イニング3暴投:2012年7月16日、対横浜DeNAベイスターズ11回戦(横浜スタジアム)、5回裏に記録 ※史上11人目(日本タイ記録)
CPBL

背番号

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  • 34 (2010年 - 2011年、2016年)
  • 53 (2012年 - 2015年)
  • 78 (2017年)
  • 41 (2022年 - 2023年)

代表歴

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脚注

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  1. ^ オーランド・ロマン投手と契約”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2012年1月13日). 2012年2月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月31日閲覧。
  2. ^ ロマン来日初勝利!ミレッジ勝ち越し打…外国人の活躍で勝利”. スポニチ Sponichi Annex (2012年4月22日). 2012年7月10日閲覧。
  3. ^ 第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)出場選手について 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  4. ^ 燕・ロマン、『プレミア12』の代表辞退「自分の仕事の方が大事」 SANSPO.COM (2015年11月2日) 2015年11月27日閲覧
  5. ^ 各球団発表、2015年オフの戦力外、引退、補強、移籍一覧”. Full-count | フルカウント ―野球・MLBの総合コラムサイト―. 2020年5月30日閲覧。
  6. ^ Young stars join Beltran, Yadi for Puerto Rico MLB.com (英語) (2017年2月8日) 2017年3月16日閲覧
  7. ^ American Beauty: USA dominates PR in final World Baseball Classic (英語) (2017年3月22日) 2017年3月23日閲覧
  8. ^ 元ヤクルトのロマンが「最後の」ウインターリーグ参戦。20年の現役生活にピリオドへ(菊田康彦) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年5月30日閲覧。
  9. ^ 元ヤクルトのロマン、今秋のプレミア12出場へ! 来年の東京五輪にも意欲(菊田康彦) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年5月30日閲覧。
  10. ^ 元ヤクルトのロマンが正式に現役を引退。五輪予選に参加せず、指導者の道へ(菊田康彦) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年5月30日閲覧。
  11. ^ 富邦悍將補強教練團 外籍投手教練羅曼抵台” (中国語). 富邦ガーディアンズ 公式ウェブサイト. 2022年6月25日閲覧。
  12. ^ 味全龍重視運科 羅曼重返中職當投手教練” (中国語). ETToday. 2024年12月30日閲覧。
  13. ^ 康彦, 菊田 (2021年2月4日). “(2ページ目)バーネット、ロマン、マクガフ……スワローズ”ナイスガイ外国人選手”の系譜”. 文春オンライン. 2024年12月24日閲覧。
  14. ^ 幼なじみは巨人の助っ人…ヤクルト・ロマン来日”. スポニチ Sponichi Annex (2012年1月28日). 2012年1月31日閲覧。
  15. ^ サルサ好きロマン 中南米で大人気のバンドが登場曲提供”. スポニチ Sponichi Annex (2012年7月10日). 2012年7月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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