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岡崎源一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡崎 源一[1](おかざき げんいち[2]1898年明治31年)2月26日[3] - 没年不明)は、日本弁護士[1][3][4][5][6]検察官[2]東京弁護士会理事[2]

経歴

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三重県河芸郡一身田村字上津部田(現・津市)出身[6]。岡崎和吉の長男[4][5]1918年第二高等学校を卒業[7]1921年東京帝国大学法学部独法科を卒業し[4][5]司法省に入り司法官試補となり[6]、同年12月に判事に任官する[3]

裁判所に勤務する[4]1926年1月に官を辞し[3]、弁護士となる[3]。日本橋区本銀町四丁目に事務所を開く[6]。高木益太郎の長女と結婚する[3]

1929年12月11日に高木益太郎が亡くなると、その法律事務を岡崎法律事務所が引き継ぐ[6]。また法律新聞社長となる[3]1952年5月から1954年4月まで司法研修所教官をつとめた[8]

仙台高等検察庁検事長[9]名古屋高等検察庁検事長[10]をつとめた。

人物

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主張は日本主義[4]。趣味は旅行、読書[4][5]。宗教は天台宗[4]。住所は東京都大田区山王2丁目[1]、中野区野方4丁目[2]、事務所は中央区日本橋本町4丁目[4]

栄典

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家族・親族

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岡崎家
  • 父・和吉 - 弁護士・岡崎正也の義弟である[3]
  • 妻・喜代子1905年 - ?、東京、高木益太郎の長女[4][5]、海東土地建物代表[11]
  • 長女[4][5]
親戚

脚注

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  1. ^ a b c 『日本紳士録 第46版』東京オ、ヲの部113頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月〜昭和44年4月』489頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 『現代弁護士大観 第1巻』171頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月11日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第15版 上』オ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月22日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 『人事興信録 第14版 上』オ191頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月23日閲覧。
  6. ^ a b c d e 『東京横浜三重県人評伝』73 - 74頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月12日閲覧。
  7. ^ 『第二高等学校一覧 自大正11年至12年』卒業生氏名 大正七年267頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月12日閲覧。
  8. ^ 『司法研修所五十年史』司法研修所教官名簿213頁。
  9. ^ 『法曹(7)(105)』62頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月12日閲覧。
  10. ^ 『法の支配(1)(4)』70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月12日閲覧。
  11. ^ 『法人個人職業別調査録 第10版』土地建物経営管理業8ノ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月15日閲覧。
  12. ^ 『大正人名辞典』1003頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月23日閲覧。
  13. ^ 『人事興信録 第13版 下』タ95頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月23日閲覧。

参考文献

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  • 第二高等学校編『第二高等学校一覧 自大正11年至12年』第二高等学校、1912 - 1926年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。
  • 蒲生隆宏編著『東京横浜三重県人評伝』三重県人雑誌社、1930年。
  • 石井敬三郎等編『現代弁護士大観 第1巻』丸万商店、1932年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第46版』交詢社、1942年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 国際探偵社編『法人個人職業別調査録 第10版』国際探偵社、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 『法曹(7)(105)』法曹会、1959年。
  • 『法の支配(1)(4)』日本法律家協会、1961年。
  • 『日本叙勲者名鑑 昭和39年4月〜昭和44年4月』日本叙勲者協会、1969年。