岡本保江
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時代 | 江戸時代 |
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生誕 | 延宝3年(1675年) |
死没 | 享保21年1月14日(1736年2月25日) |
別名 | 勘右衛門 |
戒名 | 了義 |
墓所 | 浅草本國寺 |
氏族 | 岡本氏 |
父母 | 父:桑嶋忠政 |
妻 | 井出正方娘 |
子 | 保忠(養子) |
略歴
[編集]桑嶋忠政の子として生まれる。
徳川家宣に仕え、宝永元年(1704年)、家宣が江戸幕府の次期将軍に決まり、江戸城の西の丸に移ると、これに従い江戸城に入り、御家人に召し抱えられ、西の丸の表火番に任じられる。宝永3年(1706年)6月9日には表右筆に列せられ、宝永4年(1707年)12月26日には禄米百俵を与えられる。その後、宝永5年(1708年)2月1日に、それまでの桑嶋姓から曽祖父までの姓であった岡本姓に復帰。宝永7年(1710年)12月19日には加増され、合わせて禄米二百俵を得るまでに出世した。
正徳元年(1711年)6月11日に奥右筆となり、正徳2年(1712年)2月2日、奥右筆を辞して小普請となる。
元文元年(1736年)1月14日没。享年62。浅草の本國寺に葬られ、代々子孫の菩提寺となる。