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岡本保江

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
岡本保江
時代 江戸時代
生誕 延宝3年(1675年
死没 享保21年1月14日1736年2月25日
別名 勘右衛門
戒名 了義
墓所 浅草本國寺
氏族 岡本氏
父母 父:桑嶋忠政      
井出正方
保忠(養子)
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岡本 保江(おかもと やすえ)は、江戸時代御家人

略歴

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桑嶋忠政の子として生まれる。

徳川家宣に仕え、宝永元年(1704年)、家宣が江戸幕府の次期将軍に決まり、江戸城の西の丸に移ると、これに従い江戸城に入り、御家人に召し抱えられ、西の丸の表火番に任じられる。宝永3年(1706年6月9日には表右筆に列せられ、宝永4年(1707年12月26日には禄米百俵を与えられる。その後、宝永5年(1708年2月1日に、それまでの桑嶋姓から曽祖父までの姓であった岡本姓に復帰。宝永7年(1710年12月19日には加増され、合わせて禄米二百俵を得るまでに出世した。

正徳元年(1711年6月11日奥右筆となり、正徳2年(1712年2月2日、奥右筆を辞して小普請となる。

元文元年(1736年1月14日没。享年62。浅草の本國寺に葬られ、代々子孫の菩提寺となる。

参考文献

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出典

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