岡本照富
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岡本 照富(おかもと てるとみ、永禄7年(1564年) - 天正12年5月7日(1584年6月15日))は、下野国塩谷郡の戦国武将。清四郎[1]、宗方[2]。父は岡本正親。姉は塩谷義通の妻。弟に正富。
沿革
[編集]照富は、岡本正親の嫡男として松ヶ嶺城に生まれる。武芸に秀でる一方、京の謡曲師道慶に師事し、謡、鼓などを習うなど、正親の後継として育てられる。
天正12年(1584年)5月7日、父と弟正富とともに参戦した佐野沼尻の戦いにおいて、弟とともに北条方の武将広沢三郎、向笠内蔵助と戦に先立ち一騎討ちを行い、これに敗れて弟とともに討ち死にした。享年21。戒名は忠徳院鏡山全鑑大居士。当時、父正親が皆川広照に使えていた関係から、当初、照富の亡骸は弟とともに大中寺に葬られるが、慶長2年(1597年)、正親が2人の息子のために、その戒名を取り鏡山寺という菩提寺を創建し、現在はここに眠る。