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岡村喜万太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岡村 喜万太(喜萬太、おかむら きまた、1860年9月18日万延元年8月4日[1]) - 1921年(大正10年)9月3日[2])は、明治から大正時代の政治家実業家大地主[1]貴族院多額納税者議員

経歴

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肥後国玉名郡腹赤村熊本県玉名郡腹赤村、腹栄村を経て現長洲町)出身[1]。岡村嘉藤太の長男として生まれ、1883年(明治16年)10月に家督を相続する[1]

農業を営み、腹赤貯蓄合名会社代表社員を務めた[1]。ほか1896年(明治29年)以降、熊本県会議員、玉名郡会議員を歴任した[2]

1901年(明治34年)に熊本県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年9月16日から[3]1904年(明治37年)9月28日まで務めた[2]

親族

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  • 長男:岡村喜内(熊本県多額納税者)[4]
  • 二男:喜久太(妻のマキは衆議院議員松村時次二女)[1]
  • 五女:ミネ(松村時次の二男の妻)[5]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1915, を119頁.
  2. ^ a b c 衆議院、参議院 1960, 186頁.
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、11頁。
  4. ^ 人事興信所 1928, オ195頁.
  5. ^ 松村時次『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]

参考文献

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