岡野松三郎
表示
岡野 松三郎(おかの まつさぶろう、天保4年(1833年) - 明治29年(1896年)4月5日)は、幕末明治期の医師、蘭学者、教育者。
経歴
[編集]はじめ、藩命により京都で広瀬元恭に入門。次いで大坂に出て緒方洪庵の適塾に入り、塾頭の福澤諭吉らと共に蘭学を修める。藩主池田茂政に用いられ、帰郷したのちに藩命により改めて江戸に出て慶応2年(1866年)に鉄砲洲慶應義塾に入学。卒業後の慶応4年(1868年)5月に岡山藩の兵学館教頭に就任。更に岡山藩の遺芳館や医学校などで永鳥貞次郎と共に教鞭を取る。島村鼎甫、松岡脾、花房義質、黒田網彦らが同窓である。
ほか、東奥義塾、岡山普通学校、篠山中学校、岡山師範学校の教員等を歴任した。小松原英太郎、岡田純夫は教え子である。
参考文献
[編集]- 丸山信編『人物書誌大系 30 福沢諭吉門下』日外アソシエーツ、1995年3月、ISBN 4816912843
脚注
[編集]- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.27