岩佐俊
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岩佐 俊 | |
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生誕 |
1888年(明治21年)10月16日 日本、福岡県 |
死没 | 1969年(昭和44年)7月14日 |
所属組織 | 日本陸軍 |
軍歴 | 1910年(明治43年) - |
最終階級 | 陸軍少将 |
岩佐 俊(いわさ しゅん、1888年(明治21年)10月16日[1] - 1969年(昭和44年)7月14日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]福岡県出身[1]。1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業[1][2]。同年12月、歩兵少尉に任官[2]。
1937年(昭和12年)8月、歩兵大佐に昇進し、独立守備第5大隊長に就任[3]。1938年(昭和13年)7月、歩兵第61連隊長に転じた[3]。1940年(昭和15年)8月、陸軍少将に進級し第9師団司令部附となる[1][3]。1941年(昭和16年)4月、第3独立守備隊長に発令され太平洋戦争を迎えた[1][3]。
1942年(昭和17年)12月、第8方面軍附となる[1][3]。1943年(昭和18年)6月、第65旅団長となりラバウルの守備を担当[1][3]。さらに同年7月、第6歩兵団長となり[3]、米軍とブーゲンビル島で戦闘を交える中で終戦を迎えた[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 位階
- 1911年(明治44年)3月10日 - 正八位[5]
- 1914年(大正3年)2月10日 - 従七位[6]
- 1919年(大正8年)3月20日 - 正七位[7]
- 1924年(大正13年)5月15日 - 従六位[8]
- 勲章
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』108頁。
- ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』271、285頁。
- ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』285頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」37頁。
- ^ 『官報』第8313号「叙任及辞令」1911年3月11日。
- ^ 『官報』第460号「叙任及辞令」1914年02月12日。
- ^ 『官報』第1988号「叙任及辞令」1919年03月21日。
- ^ 『官報』第3534号「叙任及辞令」1924年6月5日。
- ^ 『官報』第4705号「叙任及辞令」1942年9月14日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。