歩兵第61連隊
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歩兵第61連隊 | |
---|---|
創設 | 1905年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 大阪 - 和歌山 |
通称号/略称 | 淀4074 |
上級単位 | 第16師団 - 第4師団 |
最終位置 | タイ王国 ランパーン北方 |
戦歴 | 日露 - 日中 - 第二次世界大戦 |
歩兵第61連隊(ほへいだい61れんたい、歩兵第六十一聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集]- 1905年(明治38年)
- 1907年(明治40年)
- 1908年(明治41年)3月 - 第4師団隷下となる。
- 1909年(明治42年)3月17日 - 大阪から和歌山県海草郡湊村に移転[2]。
- 1937年(昭和12年)4月 - 満州に駐留、遼陽や佳木斯に駐屯。
- 1940年(昭和15年)6月 - 華中に転進、湖北省などで作戦する。
- 1942年(昭和17年)2月 - フィリピンへ転進、バターン半島やコレヒドール島の戦いなどに参加。
- 1943年(昭和18年)10月 - スマトラ島中部の警備に就く。
- 1944年(昭和19年)
- 6月 - ビルマに転戦、撤退中の部隊を援護しつつ最後尾で激戦を繰り広げる。その後ナコンナヨク北方のドリアン山にて陣地構築する。
- 1945年(昭和20年)
- 8月 - 終戦。
歴代連隊長
[編集]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
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1 | 中村無一 | 1905.7.17 - | |
2 | 三上徳治 | 1906.1.15 - 1910.11.30 | 中佐、大佐昇進 |
3 | 吉永狂義 | 1910.11.30 - 1915.9.21 | |
4 | 香椎秀一 | 1915.9.21 - | |
5 | 吉岡顕作 | 1917.4.5 - 1918.7.24[3] | |
6 | 武島嘉三郎 | 1918.7.24 - 1921.7.20[4] | |
7 | 神尾直次 | 1921.7.20 - | |
8 | 瀬川章友 | 1924.12.15 - | |
9 | 谷寿夫 | 1927.3.5 - | |
10 | 金子因之 | 1928.5.10 - | |
11 | 尾高亀蔵 | 1931.8.1 - | |
12 | 中山保三郎 | 1932.8.8 - | |
13 | 鈴木春松 | 1933.9.18 - | |
14 | 飯村穣 | 1935.3.15 - | |
15 | 倉石忠一郎 | 1937.3.1 - | |
16 | 岩佐俊 | 1938.7.15 - | |
17 | 鵜沢尚信 | 1940.7.1 - | |
18 | 佐藤源八 | 1941.10.15 - | |
19 | 門松正一 | 1945.6.8 - | |
末 | 駒沢貞安 | 1945.8.16 - |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。