コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

岩崎巌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岩崎 巌(いわさき いわお、旧字体岩崎 巖1925年大正14年2月9日 - 2020年令和2年4月16日)は、日本の作詞家教員早稲田大学学生歌『早稲田の栄光』(補作:西條八十/作曲:芥川也寸志)、応援歌『ひかる青雲』(作曲:古関裕而)ほか、神奈川県立高等学校校歌等を作詞した。

生涯

[編集]

静岡県清水市宮加三(現・静岡市清水区宮加三)に、父大次郎、母そめの三男として生まれる。生後3カ月で母と、5歳の時に父と死別し、親戚に育てられる。その後、叔父の庄太郎・トシ夫妻の養子となる。

その後、庄太郎の仕事の関係で静岡県庵原郡富士川町(現・富士市)から横浜市へ転居する。横浜市立南吉田尋常小学校を経て関東学院中等部で学ぶ。母方の伯父の勧めもあり、早稲田大学専門部法学科へ進学する。在学中に、前橋陸軍予備士官学校に入校。任官後、国内防衛の任に当たり、陸軍少尉として終戦を迎える。

戦後、早稲田大学政治経済学部政治学科に復学。大学卒業後、家業が自動車売買であったこともあり、梁瀬商事株式会社(現・ヤナセ)に就職した。

その後転職。大学時代の友人の紹介で、藤沢市立第一中学校の教諭(社会科)へ。さらに、神奈川県立高等学校教諭に異動し、神奈川県立希望ヶ丘高等学校神奈川県立横浜日野高等学校神奈川県立柏陽高等学校で教鞭をとる。以後、外語短期大学付属高等学校、神奈川県立新城高等学校神奈川県立瀬谷西高等学校で教頭、神奈川県立三崎高等学校、神奈川県立瀬谷西高等学校で校長を務めた。

1956年に齋藤昭子(宮城県栗原郡一迫町(現・栗原市一迫町)出身、2018年死去)と結婚し、2人の子をもうける。

退職後、神奈川県立文化資料館非常勤職員、桐蔭学園中等部非常勤講師を務める。

2013年3月1日瑞宝小綬章を受章する[1]

2020年4月16日、老衰で死去、享年95歳[2]5月15日従五位を贈られる[3]

主な作品

[編集]

作詞

[編集]

学生時代から、詩歌に深い興味をもち、特に北原白秋西條八十に傾倒。独学で様々な詩を創作した。

大学在学中に早稲田大学応援部の応援歌募集に応募し、『ひかる青雲』が採用される(作曲:古関裕而、1947年)。卒業後、早稲田大学の応援歌『精悍若き』(作曲:古関裕而、1950年)、『あの眉若人』(作曲:野村茂、1952年)、学生歌『早稲田の栄光』(補作:西條八十、作曲:芥川也寸志、1952年)、『花の冠』(作曲:藤原秀行、1982年)、『青春の空』(作曲:磯部俶、1997年)を作詞。

また、戦時中、茨城県土浦に疎開をしていたことから、1949年に茨城県「観光茨城の歌」の歌詞募集に応募し、「水郷音頭」が当選した[4]。作曲は古関裕而[5]

以後、創作された歌詞

  • 神奈川県立日野高等学校(現・横浜南陵高等学校)校歌(作曲:團伊玖磨、1967年)
  • 神奈川県立清水ヶ丘高等学校(現・横浜清陵高等学校)校歌(作曲:佐々木準、1976年)
  • 神奈川県立野庭高等学校(現・横浜南陵高等学校)校歌補作(作詞:松林洋子、作曲:浦田健次郎、1976年)
  • 神奈川県立津久井浜高等学校校歌(作曲:團伊玖磨、1978年)
  • 神奈川県立伊志田高等学校校歌監修(作詞:實方正儀、作曲:内藤靖治、1978年)
  • 神奈川県立大和南高等学校校歌(作曲:今井翼、1979年)
  • 神奈川県立瀬谷西高等学校校歌(作曲:團伊玖磨、1980年)
  • 神奈川県立東金沢高等学校校歌(現・金沢総合高等学校)校歌(作曲:村上顕、1981年)
  • 大和市立南林間小学校校歌(作曲:鈴木道雄、1983年)
  • 神奈川県立新栄高等学校校歌(作曲:内藤靖治、1985年)
  • 神奈川県立平安高等学校(現・鶴見総合高等学校)校歌補作(作詞:加藤一徹、作曲:秋山裕、1985年)
  • 沖縄電力社歌「社旗よ なびけ」(作曲:嶺井政三、1993年)
  • 私立明倫高等学校(現・横浜清風高等学校)明倫賛歌「えんじの旗」(作曲:黛敏郎、1993年)
  • 宮城教育大学学生歌「殻を破れ」(作曲:吉川和夫、1995年)
  • 私立横浜清風高等学校校歌(作曲:黛敏郎、2001年)
  • 山梨大学学生歌「明日の翼ひろげ」(作曲:藤原嘉文、2001年)

また、第7回島木赤彦童謡コンクール一般の部において、「母と風車」が優秀賞を受賞。(2007年)

著作

[編集]
  • 『すずかけの樹』自費出版、1955年。 
  • 『バルビゾンいつかまた』門土社総合出版、1988年9月。ISBN 9784895610902全国書誌番号:89006161 
  • 『サンマルタン運河のまち』門土社、1999年7月。ISBN 9784895612234全国書誌番号:20222935 
  • 『夏 鴟尾を仰ぐ』神奈川新聞社出版局、2002年11月。 
  • 『風満ちて雲あがるとき』神奈川新聞社出版部、2005年9月。OCLC 836279432 
  • 『野の光ここにあふれて』神奈川新聞社出版部、2009年11月。OCLC 836279430 

その他

[編集]
  • 「早稲田の栄光」歌碑
早稲田大学創立125周年記念として、2007年に早稲田大学大隈講堂の左脇に建立される[6]
「早稲田の栄光」は主に早慶戦で勝ったとき、及び早稲田大学卒業式で歌われている[6]
建立にあたっては早稲田大学横浜稲門会の尽力が大きい
  • 校歌歌碑の建立
    • 神奈川県立清水ヶ丘高等学校
    • 神奈川県立津久井浜高等学校
    • 神奈川県立大和南高等学校
    • 神奈川県立瀬谷西高等学校
    • 私立横浜清風高等学校

脚注

[編集]
  1. ^ 「高齢者叙勲(3月1日)」『読売新聞』2013年2月27日、32面。
  2. ^ 「岩崎巌氏 95歳(いわさき・いわお=元瀬谷西高校校長)」『読売新聞』2020年5月1日、22面。
  3. ^ 「叙位叙勲(15日)」『読売新聞』2020年5月16日、22面。
  4. ^ 刑部芳則 (2021年2月25日). “古関裕而が全国各地へ「エール」を送るメロディー”. 歴史的音源. 国立国会図書館. 2021年4月17日閲覧。
  5. ^ 作曲一覧(作詞家別)”. 福島市古関裕而記念館. 2021年4月17日閲覧。
  6. ^ a b 戦後早稲田を代表する学生歌「早稲田の栄光」”. 早稲田文化. 早稲田大学 (2020年5月26日). 2021年4月17日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 牛島芳『応援歌物語』啓文堂、1979年
    • 「ひかる青雲」「精悍若き」「早稲田の栄光」「あの眉若人」について
  • 『早稲田大学歌集』早稲田大学出版部、1988年
    • 「ひかる青雲」「精悍若き」「あの眉若人」「早稲田の栄光」の楽譜
  • 『早稲田学報』2016年12月号、早稲田大学校友会
    • 「歌と人と 応援歌・学生歌を作詞して」(「早稲田の栄光」「ひかる青雲」について)