岩殿寺 (長野県筑北村)
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岩殿寺・全景 | |
所在地 | 長野県東筑摩郡筑北村別所13505 |
位置 | 北緯36度26分6.3秒 東経137度59分37.1秒 / 北緯36.435083度 東経137.993639度座標: 北緯36度26分6.3秒 東経137度59分37.1秒 / 北緯36.435083度 東経137.993639度 |
山号 | 富蔵山 |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 馬頭観音 |
文化財 | 金銅十一面観音釈迦聖観音像御正体、木造大日如来坐像(重要文化財)ほか |
法人番号 | 8100005006586 |
岩殿寺(がんでんじ)は長野県東筑摩郡筑北村(旧坂北村)にある天台宗の寺院。山号は富蔵山(とくらさん)。本尊は馬頭観音。信濃三十三観音霊場15番札所。
境内に大小75社、12坊、4支院を有する大寺であったとされるが、度重なる火災により衰退した。往時を偲ばせるものとしては重要文化財の懸仏(かけぼとけ)と大日如来像、長野県宝の三所権現神像(3躯)などがわずかに残されている。
歴史
[編集]伝承によれば、嘉祥元年(848年) 円仁が仁明天皇の命で一向大乗寺として創建。岩殿山を修験道の霊場として三所権現を祀り、十一面観音、深沙大王を本尊としたという。室町時代末期 武田信玄の帰依を受け、寺紋を武田菱とした。江戸時代には服部・石川両氏の入部にあたり、寺領を悉く横領されるが、水野忠直よりの黒印30石により維持される。
- 寛永7年(1630年) 三宝院を焼失するが、直ちに復興される
- 明治10年(1877年) 岩殿山上の施設を焼失
- 明治16年(1883年) 富蔵山より本尊什器を三宝院に移し、山上の祭祠を廃止
- 明治17年(1884年) 岩殿山上の施設を再び焼失
- 昭和21年(1946年) 農地改革により寺領を失う。
- 昭和57年(1982年) 本堂と庫裏を焼失
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 金銅十一面観音釈迦聖観音像御正体(三所権現懸仏) - 円形の銅板上に銅製薄肉彫りの十一面観音、釈迦如来、聖観音の像を表す。建長元年(1249年)の銘がある。東京国立博物館に寄託。
- 木造大日如来坐像 - 鎌倉時代。岩殿寺本堂から北西に1kmほど離れた所にある仁熊大日堂に安置する。
長野県宝
[編集]- 木造男神立像 3躯 - 鎌倉時代の作。もとは岩殿山の山頂付近にある三所権現の祠に安置されていたが、保存に万全を期すため、岩殿寺内に移された。
札所
[編集]- 信濃三十三番観音札所の第15番
行事
[編集]- 3月 - 火渡り行