岩脇古墳
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岩脇古墳 | |
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墳丘 | |
別名 | 岩脇第1号古墳/岩脇第1号墳/岩脇1号墳 |
所属 | 岩脇古墳群 |
所在地 | 広島県三次市粟屋町1649-3(字柳迫)(岩脇古墳公園内) |
位置 | 北緯34度48分27.68秒 東経132度50分9.47秒 / 北緯34.8076889度 東経132.8359639度座標: 北緯34度48分27.68秒 東経132度50分9.47秒 / 北緯34.8076889度 東経132.8359639度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径30m 高さ5m |
埋葬施設 |
竪穴式石槨1基 箱式石棺4基 石蓋土壙1基 礫床小型木棺1基 |
出土品 | なし |
築造時期 | 4世紀代 |
史跡 | 広島県指定史跡「岩脇古墳」 |
地図 |
岩脇古墳(いわわきこふん、岩脇1号墳)は、広島県三次市粟屋町にある古墳。形状は円墳。岩脇古墳群を構成する古墳の1つ。広島県指定史跡に指定されている。
概要
[編集]広島県北部、三次市街地から西方の高谷山東麓の丘陵上に築造された大型円墳である。眼下には三次盆地と江の川・馬洗川の合流地点を一望する[1]。丘陵上では本古墳含む7基の古墳(他6基は直径6-8メートルの小円墳:詳細不明)が分布して岩脇古墳群として認知されるほか、南側斜面には四隅突出型墳丘墓を含む弥生時代の墳墓群が分布する[1]。1955年(昭和30年)に発掘調査が、2012-2013年度(平成24-25年度)に測量調査が実施されている[2]。
墳形は円形で、直径約30メートル・高さ約2.5-5メートルを測る[1]。墳丘外表で段築・葺石・埴輪は認められていない[1]。埋葬施設として、中心的埋葬の竪穴式石槨1基、その周囲の箱式石棺4基・石蓋土壙1基・礫床小型木棺1基の計7基が認められる[1]。竪穴式石槨は内法の長さ約2.4メートル・幅0.7メートルを測る[3]。副葬品は出土していない[3]。遺物が認められないため詳らかでないが、築造時期は古墳時代前期の4世紀代と推定される[3]。
古墳域は1957年(昭和32年)に広島県指定史跡に指定されている[2]。現在は史跡整備の上で岩脇古墳公園として公開されている。
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墳頂の埋葬施設群(上から)
左に竪穴式石槨。 -
墳頂の埋葬施設群
右奥に竪穴式石槨。 -
竪穴式石槨(中心的埋葬)
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竪穴式石槨俯瞰図
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竪穴式石槨展開図
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岩脇古墳群(最奥に1号墳(岩脇古墳))
遺跡歴
[編集]- 1955年(昭和30年)、発掘調査(広島大学・三次尚史会)[1]。
- 1957年(昭和32年)9月30日、広島県指定史跡に指定[2]。
- 1965年(昭和40年)、国民宿舎建設に伴う岩脇墳墓群の発見[1]。
- 1981年度(昭和56年度)、岩脇遺跡の発掘調査(三次市教育委員会、2018年に報告)[1]。
- 2012-2013年度(平成24-25年度)、岩脇古墳群の測量調査(三次市教育委員会・三次地方史研究会、2018年に報告)[1]。
文化財
[編集]広島県指定文化財
[編集]- 史跡
- 岩脇古墳 - 1957年(昭和32年)9月30日指定[2]。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(三次市教育委員会、2016年設置)
- 地方自治体発行
- 『岩脇遺跡発掘調査・岩脇古墳群測量調査報告書』三次市教育委員会・特定非営利活動法人広島県文化財センター〈広島県三次市文化財調査報告書第11集〉、2018年。
- 事典類
- 「岩脇古墳」『広島県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系35〉、1982年。ISBN 4582490352。
- 小林三郎「岩脇古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 「岩脇古墳」『三次市史』 II、三次市、2004年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 岩脇古墳 - 広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」