岸良
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岸良(がんりょう、寛政10年(1798年) - 嘉永5年3月19日[1](1852年5月7日))は、江戸時代後期の絵師。京都生まれ。旧姓濱谷、名は五郎、昌良、字を子良、号は画雲(楼)、乗鶴など。佐伯岸良(さえきがんりょう)とも。 人物画、花鳥画に優れた。
経歴
[編集]画歴はよく分かっていないが、若くして岸駒に学んだという。岸駒の長女・貞は、岸成と結婚し一女・春(岸連山妻)をもうけていたが、岸成が早世したため、後婿に岸良を迎えた。有栖川宮家に仕え、雅楽助を名乗る。岸派2代目の岸岱の陰に隠れて目立たないが、画技は確かで、お家芸の虎図だけでなく、南蘋派風の濃彩な写実画も良くする。御所や高野山西門院の仕事もこなしており、岸岱と共に岸駒亡き後の岸派を支えた。室町四条南に住す。嘉永5年(1852年)没する。戒名は画雲院殿良虎日猛居士。墓所は上京区の本禅寺。
代表作
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・落款 | 備考 |
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旭に飛鶴図 | 紙本墨画著色 | 二曲一隻 | ギメ東洋美術館 | 天保3年(1832年) | |||
雲龍・天女図 | 紙本 雲龍図は墨画、天女図は著色 | 2面 | 伏見区・善願寺本堂内陣天井画 | 弘化3年(1846年)頃 | 本堂の花卉図天井画も、中央の1点のみ松村景文だが、それ以外は岸派の作。 | ||
連地図障壁画 | 本禅寺本堂 | ||||||
猿猴倚樹図 | 醍醐寺 | ||||||
布袋図 | 紙本墨画淡彩 | 衝立1基 | 角屋 | ||||
虎渓三笑図ならびに山水図 | 絹本墨画淡彩 | 3幅対 | 中幅:107.8x43.0 左右幅:107.6x43.0 |
宗雲寺 (京丹後市) | 款記:中央幅「雅楽助岸良」右幅「画雲岸良写」左幅「碧堂岸良写」/各幅に「岸良」「士良」白文朱文方連印[2] | ||
須磨明石図屏風 | 富山市佐藤記念美術館 | ||||||
富嶽図 | 紙本金砂子地墨画淡彩 | 六曲一双 | 171.2x375.6 | 石川県立美術館[3] | |||
前田利家桶狭間凱旋図 | 絹本著色 | 1幅 | 100.0x36.0 | 石川県立歴史博物館 | 落款「応需」「雅楽助岸良」/「岸良」白文方印・「士良」朱文方印 | ||
琴棋書画図[4] | 紙本金地著色 | ニ曲一双 | 敦賀市立博物館 | 落款「雅楽助岸良」「岸良」/「乗鶴」朱文長方印・「岸良」「士良」白・朱文割印 | |||
孔雀図屏風[5] | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 敦賀市立博物館 | 落款「雅楽助岸良」/「士良」朱文長方印 |